アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

『翻訳できない わたしの言葉』。2024.4.18~7.7。東京都現代美術館。

 

2024年7月4日。

https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/mywords/

東京都現代美術館サイト)

 

 いつもは日本語を話している。

 これまで海外に滞在した経験は、トータルして2ヶ月くらいしかないから、他の言語に囲まれたようなこともほとんどない。

 だから、日本語という言葉を発して、それで会話をすることはあまりにも当たり前で、言葉そのものよりも、その言葉の限界とか、そこにこめられた想いのようなものを感じるようなことばかりをしている、ように思う。

 

 妻と二人で義母を介護しているときは、耳が聞こえなくなった義母を相手に、普段は唇を読んでもらったり、表情でなんとなく伝わるけど、その動きを少し大きくしていたと思うが、少しでも複雑なことを伝えようとするときは、筆記ボードなどで文字を書いて、伝えていた。

 そのとき、義母は、こちらの伝えたいことを「聞きたくない」ときは、筆記ボードに書いても、それを目にしないように、目をつぶって、聞きたくないという自分の意志を伝えようとしていたのだろうけれど、勝手なことだとも思うが、こちらはいら立つ。

 そんなこともあったのを、この展覧会を見て、思い出したり、そのことについて、考え抜くまではいかなくても、そのことを考えたりもした。

 だから、この展覧会は、それぞれの作家が、自分に深く関係していることを、その人にしか伝えられないことを、作品にしていた。だから、その空間にいるときは、受け止めきれないような思いにもなった。

 ただ、ある意味では、その強い表現だったから、こうして展覧会が終わって、時間が経っても、思い出すと、そのときの感じが蘇る。

 

5人のアーティスト

世界には様々な言語があり、一つの言語の中にも、方言や世代・経験による語彙・文法の違いなど、無数の豊かなバリエーションがあります。話す相手や場に応じて、仲間同士や家族だけで通じる言葉を使ったり、他言語を使ったりと、複数の言葉を使い分ける人もいるでしょう。言葉にしなくても伝わる思いもあります。それらはすべて、個人の中にこれまで蓄積されてきた経験の総体から生まれる「わたしの言葉」です。他言語を学ぶことでその言語を生み出した人々の文化や歴史に触れるように、誰かのことを知ることは、その人の「わたしの言葉」を、別の言葉に置き換えることなくそのまま受けとろうとすることから始まるのではないでしょうか。

 

この展覧会では、ユニ・ホン・シャープマユンキキ南雲麻衣新井英夫金仁淑の5人のアーティストの作品を紹介します。彼らの作品は、みんなが同じ言語を話しているようにみえる社会に、異なる言語があることや、同じ言語の中にある違いに、解像度をあげ目を凝らそうとするものです。第一言語ではない言葉の発音がうまくできない様子を表現した作品や、最初に習得した言語の他に本来なら得られたかもしれない言語がある状況について語る作品、言葉が通じない相手の目をじっと見つめる作品、そして小さい声を聞き逃さないように耳を澄ませる体験などを通して、この展覧会では、鑑賞者一人ひとりが自分とは異なる誰かの「わたしの言葉」、そして自分自身の「わたしの言葉」を大切に思う機会を提示したいと思います。

             (「東京都現代美術館サイト」より)

 

 これは、展覧会のサイトにあるステートメントだけど、本当にこの通りの展示だった。だから、問題は、それをどこまで受け止められるか、感じ取れるか、理解できるか、という観客側にかかってくるのは、わかる。

 そういう展覧会は、やはり微妙な緊張感がある。

 

 最初の作品は、ユニ・ホン・シャープの映像。

 まだ「女の子」と言っていい年齢の女性が、こちらを向いて話をしている。

 それは、母親であるアーティストが、フランス語を母語とする娘に、フランス語の発音を習うという短めの映像だった。

 母語でなければ、正確な発音は難しい。だけど、だからといって、正確でない発音での言葉は、言葉ではないのか。みたいなことを伝えようとしている作品でもあったようだけど、それは、日常的に使う言葉が変わって行くような事情がある人にとっては、本当に切実な話だと思う。

 他の4人のアーティストも、それぞれ、違う視点から、他の人とはちがうかもしれない「わたしの言葉」について作品化しているようだった。

 

言葉で説明できにくい気持ち

 アイヌをルーツに持つ作家・マユンキキが、でも、身近にアイヌ語があったわけでもなかったのだけど、それを大人になって学び始め、そのことで感じたいろいろなことを、同様に、言葉を選び直すような経験をしている人と対話をしているような映像。

 さらには、作家本人がいるスペースに入るときは、署名をして、尊重を前提として、鑑賞するような体験。

 

 日本に移住したブラジル人の子どもたちが通う滋賀県の学校で撮影されて、その日常の光景。金仁淑の映像作品。そして、その子どもたちは、大きめの映像として、こちらをじっと見つめてくる。

 

 体を動かすことを表現手段として活動を続けているアーティスト。そのことをワークショップを通じて広げていく。ALS発症後も、活動を続ける新井英夫。この日は、作家本人は会場にいなかったが、もし、ここにいたら、またいろいろなことを感じたはずだ、とも思う。

 

 さらに、南雲麻衣の映像作品。

 作家は、3歳半で失聴し、その後、人工内耳を埋め込み、音声日本語を母語とし、大人になってから手話を知る。そうした中で、南雲は「音声日本語」が母語であり「日本手話」を第一言語と認識している、といったプロフィールも、この展覧会で初めて知る。

 映像は、相手によって、言語が変わる様子だった。

 特に母親と「音声日本語」を使って会話している様子には、なんともいえない緊張感があった。

 ハンドアウトには、こうした作家の言葉があった。

 

『家に帰ると私は音声言語で話しますから、母は手話を見てないと思うんです。手話を使っていることを話すと、「へえ〜、手話って言うんだ」みたいな反応ですね。でも大学2年生のとき、ろう者で映画監督の今井ミカさんからのお誘いでヨーロッパに行き、向こうのろう者たちと会ったんです。それまでは音声と手話を切り替えたかれど、その2週間の旅のあいだは手話漬けでした。でも、帰国して母と会い、楽しかったと話すと、発音の能力が落ちたと言われたんです。そのときの母の表情をいまでも覚えています。なんとも神妙な面持ちというか……。母よりも父のほうが心配していて、「手話のせいか」みたいな反応がありました。やっぱり親たちは聞こえる人で、私とは違うんだと実感しました。自分の人生は自分で決めると言ったのを覚えています』。

                 (会場ハンドアウトより)

 

 こうした大事で、だけど、もしかしたらとても伝えにくいことを形にしてくれて、なんともいえない気持ちにもなったし、南雲麻衣という人へ感謝するような思いにもなった。

 

 そして、5人の作家も誰もが伝わりにくいことを、伝えようとしていることを改めて思った。

 

 

 

 

『現代美術史』 山本浩貴

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