アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

『ホー・ツーニェン エージェントのA』。2024.4.6~7.7。東京都現代美術館。

 

2024年7月4日。

https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/HoTzuNyen/

東京都現代美術館サイト 『ホー・ツーニェン エージェントのA』)

 

 映像作品は、全部で8作品。

 それも、3つの展示会場で、時刻によって、映写時間がかわるので、どうすれば全部見られるかと考えたが、そういう作業に関しては無能なので、とにかく見ることにする。

 最初は、時間をテーマにしたものだった。

 

ホーの最新作で新たな展開ともいえる《時間(タイム)のT》(2023年)では、ホーが引用しアニメーション化した映像の断片が、アルゴリズムによって、時間の様々な側面とスケール—素粒子の時間から生命の寿命、宇宙における時間まで—を描き出すシークエンスに編成されます。それらが喚起する意味や感覚は、時間とは何か、そして私たちの時間の経験や想像に介在するものは何かを問いかけます。

                   

                  (「東京都現代美術館」サイトより)

 あらゆるエピソードが組み合わされ、だから、そのストーリーのようなものを追うのは諦めたとしても、全部みると60分かかる。標準時刻を表示している時計か何かを破壊しようとして、失敗した人がいる、といった事実も初めて知った。

 他にも、おそらくは知らない出来事や、フィクションも含めてアニメーションで制作されていて、どこかへ連れて行かれるような気持ちになりそうにもなったけれど、全部を見てしまったら、他の作品が見られなくなるのでは、とも思ったので、半分くらいは見たと思う。

 

3Dアニメーションを用いた《一頭あるいは数頭のトラ》(2017年)では、トラを人間の祖先とする信仰や人虎にまつわる神話をはじめ、19世紀にイギリス政府からの委任で入植していた測量士ジョージ・D・コールマンとトラとの遭遇や、第二次世界大戦中、イギリス軍を降伏させ「マレーのトラ」と呼ばれた軍人山下奉文など、シンガポールの歴史における支配と被支配の関係が、姿を変え続けるトラと人間を介して語られます。

                    (「東京都現代美術館」サイトより)

 この作品は、チラシなどでのメインビジュアルになっていて、あのトラは、この作品で出てくるのかとわかる。ただ、ものすごく壮大で、宇宙を連想させるような映像や、スローモーションも多用されていたのだけど、イギリスとシンガポールとの関係性のことを考えたり、ヨーロッパのアジアの事情を軽視している感じとか、だから測量中にトラと遭遇してしまうではないか、などとも思ってしまったのだけど、こうした事実自体を、この作品を見るまで、恥ずかしながら、全く知らなかった。

 そして、過去になったといえ、知らなかった歴史の細部をこれからでもわかって行くことで、歴史の見え方が違ってくるし、それは、現在の世界への感じ方自体にも影響を及ぼしそうな気持ちまでしてくる。

 それは書物などで読む経験とは質が違って、現在性が高いようにも思えた。

 

日本の歴史

 今回の展覧会ではVRも体験できた。それも前もって予約をすれば、入場料を払えば誰でも利用できるものらしい。

 それで、あわてて予約もした。

 そのテーマは、日本の戦中の京都学派といわれる人たちの思想だった。

 

《ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声》(2021年)を展示します。VRと6面の映像で構成された本作では、西洋主義的近代の超克を唱え、大東亜共栄圏建設について考察した京都学派の哲学者たちの対話、テキスト、講演などが現前します。VRでは、戦争の倫理性と国家のための死についての議論が行われた座談会から、西田幾多郎の「無」の概念を象徴する抽象的空間まで、京都学派の思想と哲学者たちの主観性を体現する空間に没入することができます。

                    (「東京都現代美術館」サイトより)

 

 明治以来、脱亜入欧を唱え、その上で、西洋を越えようとしていたのが、昭和の戦前の日本だったことは、なんとなく知ってはいたけれど、こうしてアニメーションを使って、その当時の哲学者が、獄中で亡くなったことなどを、をかなり明確にイメージできたような気がした。それは、過去というよりも、今起こっていることのように感じた、ということだった。

 特に、大東亜共栄圏を思想として唱えて、それが実際に戦争が始まる、という形になってしまった時代に、雑誌の座談会として、その思想を語り合うような企画にVRで筆記係として参加して、なんというか、戦争を始めた国で、しかも最初は勝っていたとすれば、それは想像しにくいほどの高揚感もありそうで、その上、自分たちが唱えていた思想で世界を変えて行くような万能感すらあったのではないか、という感覚になった。

 ただ、それはVR体験にもあったように、立ち上がれば空高くに舞い上がり、どこかで特攻隊を連想させる言葉が耳に入ってくるし、寝転がれば衛生的には最悪といっていい環境の監獄に落ちてしまうような危うい場所でもあったのだろうというようなイメージもできた。

 それは、歴史史実的には厳密さに欠けるとは思うものの、あの時代に、どうして戦争に進んでいってしまったのか、といったことは、ただ空気のせいにするだけではなく、もっと具体的に細部を考えて行かないと、知らないうちに、また同じような、だけど、決して同じには見えないように一見、冷静そうで賢そうで他に選択肢がないかのような場面がやってきて、また誤った判断をしてしまいそうな気がした。

 だから、歴史というものは、もっときちんと振り返って、そして、その具体的な出来事を通して、体験しないと分からないのだろうと思った。

 

 VRも含めて、見に来て良かったとも思えた。

 

 

『ホー・ツーニェン ヴォイス オブ ヴォイド ー 虚無の声』

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