アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「未来の体温  after AZUMAYA」。2013年10月5日〜11月2日。ARATANIURANO/山本現代

 

 

 

 

2013年10月31日。

 椹木野衣ツイッターで、展覧会をやると知った。その展覧会には「after AZUMAYA」という表記があった。

 

「時代の体温展」(1999年)を企画した人(東谷隆司)を知ったのは後からだったが、その「時代の体温展」は今でも自分がアートを見続けている理由にもなっている。母親が病気になった。入院してもらい、もう治らないんじゃないか、と思えるような状況から、普通に意思疎通が出来るようになったのは奇跡ではないかと感じて、そしてまだ病院にいるからこそ、妻と2人で出かけられる時間の中で世田谷美術館に出かけ、そこで「時代の体温展」をやっていた。

 

 公立の美術館で、少し無難な、という言い方が悪ければ、広く受け入れられそうな展覧会が多いような印象もあった場所で、大竹伸郎や奈良美智や、そしてホームレスの住んでいる場所が再現されていたり、といった体に食い込むような記憶として、残っている。さらには、その時の雨があがった感じとか、母親の病気が一時的にはよくなったとしても、もう、それ以前の、仕事のことに集中できたような生活は戻って来なくて、もう違う時間を生きて行かなくていけない、というような覚悟と不安を、別に癒してくれるというのではなく、ただ否定とか、説教とかではなく、気持ちに必要な作品が並んでいた。

 

 その印象があるから、その企画をした東谷隆司というキュレーターが亡くなったのを知ったのは、去年のことだったが、その人と縁が深い椹木野衣が展覧会をギャラリーでやると知って、少し前から楽しみにしていた。ただ、そういう「楽しみ」という言い方の中から明るさをかなりとった方が、その展覧会にはふさわしいのではないか、と勝手に思っていた。

 

 初めて行くギャラリー。白金高輪という場所。けっこう歩く。川沿いを進む。本当に何かあるのか、と思える場所にビルがあった。2階へはエレベーター。ちん。という音が大きい古いエレベーター。

 降りたら、壁に言葉がある。これは「時代の体温展」の時の文だと思ったら、確かに、その時の企画の文章だった。天井に「未来の体温」の文字。

 

 吉村大星。ネコの絵。色鉛筆だけで描かれた絵。妻は、ものすごく感心して、頭がかちわられたような気がする、と言っていた。

 

 赤城修司。福島の今年になってからの写真。生活の中に普通にある除染の文字。青いビニールシート。放射能で汚染されたと思われる土などが入れられたと思われる袋。もう、違う時間になったことを改めて思わせる写真が並んでいる。不安が当たり前に、非日常が日常になってしまった。もう戻れない、それ以前の時間、という感覚。

 

「時代の体温展」の時は、個人的な感覚に過ぎなかったが、今回の展覧会は、震災以降、それも原子力発電所の事故がまだ続いていることによって、もう前には戻れない、ということを改めて思わされる。そして、私自身も、どこかで、気持ちがそこを考えないようにしていたことに気がつく。私はまだ1度も、大震災のあと、東北に行ってもいない。

 

 どれも、不安が形になっているような作品だと思えた。2階と3階を使った展示。マドンナの胎内に胎児として存在し、そして生まれるという作品は、おそらく東谷自身の作品。2階には、皮ジャンが、3階にはギターがあったが、それは東谷が使っていたものだということを来る前の情報で知っていた。

 

 力がこもった作品。意志が伝わる展示。違ってしまった世界をこれからも生きて行く、というような覚悟を、改めて持たされるような展覧会だった。

 

 帰りに、カタログを注文した。完成したら、送ってくれるそうだった。

「時代の体温展」のカタログも置いてあったが、それは非売品で、今はその展覧会に参加した作家が持っているくらいしか残っていない、というような状況だとも知った。

「時代の体温展」は、14年前なのに、つい最近のことのように思えたし、その見ていた時の、ちょっとひりひりするような感じまで思い出せたのは、今日、「未来の体温」を見たためだとは、やっぱり思った。

 

 

(2013年の記録です。当時のメモに多少の修正・加筆をしています)。

 

 

 

 

 

 

「未来の体温」  (「YAMAMOTO GENDAI」ホームページ)    

http://www.yamamotogendai.org/japanese/previous-exhibitions/2014-temperture-of-the-future