アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「夏への扉  マイクロポップの時代」。2007.2.3-5.6。水戸芸術館。

f:id:artaudience:20200519105915j:plain

夏への扉 マイクロポップの時代」。2007.2.3-5.6。水戸芸術館

 

 

2007年4月25日。

 何しろ、「マイクロポップ」の講演会まで行ったし、ここに行くために、秘かに少しお金をキープしておいた。だけど、長く介護をしてきた母の病状は悪くなる事はあっても良くはならないだろうから、もしかしたら水戸にも行けなくなるかもしれない、とも思っていた。

 

 だけど、何とか病状は保っていて、といって、よくなるわけでもなく、病院のベッドで点滴が終わって、またしばらくたっていると、やっぱり母は、ボンヤリした時間も長くなり、それでも、行こうと思った。

 在宅介護をしている義母は、ショートステイに入ってもらった。

 

 出かける日は、雨だった。

 次の日から晴れるとも天気予報で聞いていたが、これで天気までよかったら、バチが当たる、と思った、と妻に言ったら、同じことを思っていた、と聞いた。

 前日にバスのこと。この前行ったカフェと、つぶれているかもしれないと思っていたレストランもやっていると分った。

 そして、午前11時40分、東京八重洲南口の水戸行きの高速バス。窓口で二枚買うと、500円以上、安くなるチケットがあるのを知った。

 すごく有難かった。

 列に並んだ。バスの車内は、かなり空いていた。道路は、東京都内が混んでいて、予定よりも30分くらい遅く着いた。バスから見える、途中の景色で妻は喜んでいた。こちらも嬉しかった。

 

 「泉町一丁目」で降りた。小雨。バス停の位置が変わっていた。少しあせった。午後2時まであと少し。ランチタイム。カフェには、ギリギリに入った。店は、変わっていない。店内も、スタッフの人も、いい感じだった。ランチで、スパムと半熟のタマゴのドンブリを頼み、妻はスパゲッティを頼んだ。サラダがついたり、スープがついたり、おいしかった。ガツガツと食べた。こんな時間をかけた外出は、本当に久しぶりだった。店にある雑誌を二人で少しの間だけど、夢中で読んだ。ランチにプリンまでついていて、それとは別に2つ頼んだチーズケーキを一つに減らしてもらった。一時間くらい、ゆっくりした。

 

 それから、ミトゲーへ。

 雨が降って、灰色の空で何だか、うすら寒いけど、でも、嬉しいままだった。

 午後3時頃になっていた。

 傘を傘立てに立て、荷物をクロークに預け、そして、入口。

 

 最初は、島袋道浩の作品。というよりは、行動の記録。

人間性回復のチャンス」。

 の作品は、講演でも聞いていて、写真だから、それほど印象にブレはないけれど、やっぱり、何だかいいな、と思える作品だった。阪神淡路大震災の時に、半壊した家の屋根の部分に、その文字を大きく展示していたものを撮影した作品。

 

 それから、タカノ綾。この絵は、素直に好きだと思えた。そこにいる人物にも好感が持てる。同じ部屋に有馬かおる。毎日、描いている。新聞紙にドローイングが貼ってあるから、その新聞紙を見て、その頃のことを思い出したりする。阪神大震災のこと、考えたら、島袋の作品とかぶっている時期がある。

 

 青木綾子。

 ペラペラの紙に落書きのような絵。折り紙を切り抜き。強い風がもしも吹いたら、全部、飛んでいってしまいそうな感じで、部屋を一つ使って展示している。へぼガーデン。思い切っている、と思い、妻も気にいっていた。大胆だった。

 

 それから、奈良美智杉戸洋の部屋。

 この2人の作品は、相性がいいような気がする。

 そして、奈良の、星がきらきらしている女の子の絵。

 確か青森で見ているはずなのだが、星の部屋で、その時よりも、すごくいい絵に思えた。髪の毛の色。その背景。すごく深い色。時間がたって、もっと深い感じになった、と思えた。たとえるのは変だけど、マークロスコの事を思い出した。そばにあるのに、遠くに思えるような感じ。星の周りにキラキラしたものまであった。

 感心した。昔の絵もよかった。杉戸の絵も、よかった。

 よかった、ばかりだ。

 

 そのあと、少し薄く暗くなった部屋に、太陽を写した写真が並ぶ。野口里佳の作品。

 次は、落合多武の部屋。

 考えたら、青木の部屋と隣だったら、どちらもまじってしまいそうな感じ。ただ、紙に書いてある落書きのような絵。ふざけたようにも、大胆にも見える。それが、よかったのは、すべてが考え抜かれた絶妙なのだろうけど、でも、緊張感があるわけではない。

 

 森千裕。ヘルメットの中に粘土で地蔵とか。ネズミの人形が輪になっている作品を後で知ったが、それは見たかった。だけど、なんか、それほど、暗さがない気がした。

 泉太郎。木村太陽とよく似ている感じ。おもしろかった。

 國方真秀未。2001年頃の作品のイタさは、魅力的だった。そこから、作品は成熟している。

 大木裕之。申し訳ないのだけど、この人のビデオ作品が面白いと思ったことがなく、だから、自分は何年アートを見ても、基本的には美術を理解できないのではないか、と思える作家。今回も「美とは?」というような共通するつぶやきみたいなものがあって、それが、そして、時々、妙に生々しい映像があったりして、おっとは思ったが、でも、しばらく見ただけで、次に行った。

 半田真規を見て、田中功起を見る。ビデオ作品。スニーカーを階段に落とす映像。けっこうよくはずむ。そして、最後は、ぴったり表になって、終わる。ただ、それだけのことが、どうしてこんなに見入ってしまうのだろう。居酒屋の準備の映像。魚やタコをさばいたり、洗ったり、切ったり、煮物をしたり、が、物凄く、テンポがいいというか、見ていて飽きない感じで、妻も凄くよく見ていた。どうやら、10時間くらいの時間を30分にまとめたらしい。編集の技術というかセンスというか。そして、泡と最後にビニール傘が飛んでいく映像は、すごくキレイだった。自分が、いつも見ているような光景も、ちゃんと見ていないのも、改めて分かる。

 

 それから、K K。ちょっと離れた個室みたいな展示場。

 カセットテープのテープが部屋を1周していて、ボタンを押すと、あー、みたいな声が聞こえた。置いてあったテレビが急について、そしたら、どうやら作者が実家に電話して、父親に「あー」と声を出してもらったりする映像が映った。その時の声のようだった。

 壁にワープロの文字。読むと手紙。外の係の人に聞いたら、父からの手紙らしい。どれも、このままじゃダメだ。オレも偉そうな事はいえないが、でも、頑張れ、みたいな、なんだか悲しくなるような、優しい手紙で、でも、おそらく作者はそれでも、ほとんど連絡もせず、七回忌も出ず、みたいなことらしかった。本人が引きこもりの時代の時の手紙らしい。

 何だか、すごかった。

 それで、終わりだった。

 

 一度、出て、もう1回、1人でざっと回った。

 奈良の絵に、感心した。

 妻と館内で、コーヒーを飲んで、それから「茶音」というレストランへ行って、食事をして、午後7時にバス停で、高速バスに乗って帰った。何度も、都内の家に電話をして留守番電話の伝言を聞いた。母や義母のことで何かあったら、途中でも帰らなくてはいけなかったが、緊急の伝言はなく、無事に行けた。

 よかった。

 凄く楽しい一日だった。

 

 ギャラリーマップの下部に、『「夏への扉」というタイトルについて(松井みどり)』という説明があり、そこにこんな文章があった。「基本は、不況で未来が不安な時代に成人した人たちが、その不利な条件を糧に独自の視点や生き方を構築していく、希望を秘めた芸術、ということを意図しています」。

 

 

(2007年の時の記録です。多少の修正・加筆をしています)。

 

水戸芸術館 現代美術ギャラリー

www.arttowermito.or.jp