2017年7月27日。
ぼんやりとした絵、という見方も出来るけど、いつも、いろいろなものが豊かに含まれている画面にも感じる豊かさがある。
さらには、以前、杉戸の本を妻が購入したが、毎日の身近なことが、こんなに形として見えるんだ、というような気持ちになるような微妙な変化などに対して、たぶん、気をつかって、というよりも自然に目が向いたりしているのだろう、と思えていた。
「April Song 」杉戸洋
2015年の個展は、画像を見ていたら、行きたい気持ちもあったのだけど、少し遠いところだったりしたことあり、行く機会もなかった。
「杉戸洋 frame and refrain」2015.3.15-6.14
https://www.clematis-no-oka.co.jp/buffet-museum/exhibitions/235/
もしかしたら首都圏では開催しないのかな、といった気持ちになっていた頃、急に個展があるのを知って、そのチラシを家に持って帰ったら、妻がとても強い興味を持ってくれ、いろいろと考えた上で、珍しく会期が始まったばかりの時に行くことにした。
まだ展覧会が始まって3日目。この美術館の広い方のギャラリーは、主に海外作家で、注目をあびるような企画をしているものの、今回も使っている、もう一つのギャラリーA・B・Cは国内の作家の企画が多くなっていたが、以前は、こんなスペースあったっけ?と思うような場所だった。それが、何年か前の改修後に、この場所をよく使うようになった。
チケットを買った時に、受付の人は、少しぼそぼそとした話し方だったけど、〝チケットを買うと、それでもう一回来ることができる、それは作家の意向でゆっくり見て欲しいから〟といったことで、一般で800円という料金で、そういう気遣いは、とてもありがたい気持ちにもなった。
地下3階から展示が始まり、地下2階まで続く。
時間がたつほど、作品の、記憶がなくなっている。
そこに何があったのか。
空間が、微妙な色合いのもので満たされていて、絵に、作品になる前の、材料といっていい額みたいなものや箱みたいなものが、ここしかないような場所に置かれている。そんな様子をみると、繊細さよりも、大胆さみたいなものを感じ、いいとか、悪いとか、といった判断よりも、作品というのは、どんなものも作品として成り立つのかもしれない、といった気持ちにもなってくる。
この美術館という建物の壁のゴツゴツした質感や、天井の高さや、そのカーブや、何度か来ているはずなのに、そして確実に目に入っているはずだけど、ほぼ気にとめることもできなかったいろいろな要素に気がつかされる。
さらには、当然だけど、絵も並んでいて、それは、杉戸洋らしい、というような柔らかい、微妙な気配があって、その並びの中に、ダンボールで屋根を作った、子どもの工作のようなイスと共にある作品もあったりして、だけど、そこのイスに座ると、また空間が違って見える。少し笑うような気持ちにもなるし、やるなあ、というような感心する気持ちにもなる。
大きい焼きものを使った、巨大な壁のような、そして、それなのに、あちこちに抜けがあるような、不思議な物体が大きくあって、これだけのものをよく作った、みたいな気持ちにもなった。
もう一度見ると、また違う気持ちになりそうだった。作家の方からの設計図みたいなもの、という言葉と共に渡された紙には、細かく何かが書いてあったが、筆圧が低く、小さく細かく描かれていて、何が書いてあるのか、ほぼ分からなかった。
なんだかすごい、と思った。
(2017年の記録です。多少の加筆・修正をしています)。