アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「ハラドキュメンツ6:須田悦弘  泰山木」。1999.911~11.7。原美術館

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須田悦弘」1999年。原美術館

 何しろ、チラシがかっこよかった。いい具合に落ち着いて、でも少しエッジがきいた感じもある。そして、縦と横に配置された英文字。こうした形でデザイン性を高めることを日本語でやってこなかった怠慢さ、みたいな村上龍の言葉も思い出すが、でも、今のところ、それでもかっこいいと思ってしまい、見に行きたいと反射的に思ってしまい、写真に写っている何か重なったものの正体はどうでもよくなっていた。

 

 原美術館の庭に泰山木があるらしい。それもかなり大きいのが。

 白い花を咲かせるという。そういうのを読むまでまったく知らなかったが、庭をよく見ると確かにそれらしきわりと大きい木はあった。

 

 美術館には、これまでの須田の作品も並べてある。

 リアカーのような大きい箱、入るとその奥の壁にとても小さく、雑草が木彫りで飾られている。壁は金色。最初の作品らしい。画廊を借りるより、銀座の路上パーキングを利用し、その次も駐車場のすみの看板のスペースで展示をしたらしい。

 頭の良さに感心する。目標をきちんと達成する力が強いのに、作品には押しつけがましいところが少ないことにも。

 去年、目黒美術館で見たチューリップの作品も展示されていた。今回は、わりとまとまって見せていたが、目黒では天井から、壁をつたうように、花びらと茎と葉が落ちてくるように、さり気なくつけてあるのを見た時は嬉しかった。秘密な感じで、その気持ちよさは、思い出す。

 

 メインテーマの泰山木の作品。

 2階の3つの部屋を使っている。

 最初の部屋は、花の開く前のつぼみ。たぶん、実物大くらい。壁につけてある。木彫りで、再現度が高い。

 次の部屋。がらんとしている。床の1枚の板がはずされ、そこに根っこと、とても小さな雑草が再現されている。妻は引き寄せられるように、ふわふわと近付き、ひざまずき、それにさわりそうになって、係員に止められた。でも、そういうことをしたくなるのが分かるほど、よく出来ていたし、引き寄せられる力があった。

 ちょっと見ると、何もない部屋にも見える。泰山木の大きさみたいなものを、どうやって表現するのだろう。と思っていたが、根っこを少しだけ見せて、全体を想像させる。このやり方には、感心だけでなく、凄みを感じる。頓知という言葉だけで収まらないようなあり方、その作品の完成度。本物に見えてしまうからこその、でも、作っているものだと分かってからの、不思議な気持ちの動き方がある。

 3つ目の部屋。原美術館は、古い洋館でもあるのだけど、この建物の曲線に合わせて、たぶん和紙で細長い部屋を作ってある。だから、外からでも影で、花の形は見える。中に入ると、泰山木の花。チラシの写真は、この花びらの荒削りなものだったらしい。そこから、すごく彫っていって、壊れそうなほどの薄さになって、そして、本物に見える時の気持ちの感触。

 

 目黒美術館で見た作品以外は、写真でしか知らなかった。そのイメージと違う。写真では、アップだから、よく出来た工芸品にしか見えない。実際に展示されると、どの空間に置くかで、意味と見た時の気持ちがまったく違ってくる作品ばかりだった。

 

 妻のほうが、絶賛で満足感が高いようだった。それから、「須田さん」とさん付けで呼ぶようになった。

 

(1999年の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

 

美術手帖 須田悦弘

https://bijutsutecho.com/artists/152