アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「ハイレッドセンター 直接行動の軌跡展」。2014.2.11~3.23 。渋谷区立松濤美術館。

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ハイレッドセンター 直接行動の軌跡展」。2014.2.11~3.23 。渋谷区立松濤美術館

2014年3月21日

 近所のギャラリーの方から入場券をいただいた。ハイレッドセンター。前から興味があって、それなのにまとまった展覧会はなかったけど、まさか松濤美術館でやるとは思わなかった。それだけ歴史になった、ということかもしれない。松濤美術館は、前にも何度か行ったはずなのに、まだ着かないのだろうか、と不安になるくらい駅から遠かった。

 

 50年前の出来事に関する展覧会だった。

ハイレッドセンターの活動は雑誌などでは知っていた。今ではパフォーマンスに含まれるのだろうけど、「ハプニング」をしていた当時の若者達(高松次郎中西夏之赤瀬川原平)で、その中の赤瀬川原平は、千円札を模写して、裁判となり、その裁判が作品が並ぶようなことになった、というような事も伝説として語られていることは知識としては少しだけ知っていた。

 

 銀座の並木通りで一つのタイルだけを磨いたり、シェルター計画、を行ったり、当時の社会事情と密接に関係はしていたと思う。そして山手線の車内で顔を白く塗ったり、オブジェをなめたり、みたいな行動をしていて、それは写真で記録されているから、作品として残っている。

 

 他にもいろいろな事をしていて、本人達が一番楽しそうで、すべては古いモノクロの写真やフィルムに残っている。形としては、作品の一部も残っている。

 

 宇宙のかんづめ。実物は初めて見るけど、確かに一つのアイデアで、成り立たせている面白さがある。コンセプトとしてはかなり強い。

 壁の写真の説明のボードが、黒字と、赤字の斜めに入った文字がかっこよくて、それが新しくて、だから古い記録が鮮やかに見える。客はけっこう多く、若い人も多い。年輩の人もいる。

 

 屋上からカバンをなげすてて、それを作品にしている。写真で知っていた。ただ、それが美術に関係ある施設の中で行われた、と知ると、ちょっとがっかりはした。

 それを見ていた、おそらくは団塊の世代と思われるくらいの男性が、どうしてこれが作品なんだ、さっぱり分からない、といったことを言っていて、50年たっても、何かがまったく変わらないような、この言葉自体も、何かのハプニングの続きのように感じた。

 

 チンポムと似ているのだろうか。そんな気持ちがして、それは正解の部分もあるだろうから、その関連性とか、違いとか、そういう展覧会が見たい、と思っていた。

 

 美術館の館内で、失礼ながらどなたか分からなかったが、年輩の、大御所の画家、という風情の人に、学芸員らしきひとがものすごく気を使っているのだけは分かって、このハイレッドセンターのことを聞いているのが、聞こえて来た。同じ時代のこの活動は知っていましたか?もちろん知ってはいたけど、ああやってるな、と横目で見ている感じだね。言い方がひややかだった。

 

 そんなような見られ方をされていても、時代がたって、パッケージされると、歴史になる。記録に残しておいたから、評価もされる。ただ、こういう動きが美術の中で何かしらを変えたのだろうか。社会に影響を与えたのだろうか。そんなことを思うと、では、どうしたらもっと影響を与えたりできたのだろうか、みたいな事も含めて今、検討する、ということもあっての展覧会になったらもっと刺激的で面白くなったのに、とは、ないものねだりだし、欲張りな観客の視点に過ぎないのだろうけど、そう思う。

 

 このハイレッドセンターが、読売のアンデパンダン展が終ってしまい、そのあとに、どこで発表すれば、というような気持ちから、町中での行動につながった、というのを知って、そういう偶然が、生むのかもしれない、とも思った。最初は、ある意味でのやけくそだったのだと思うけれど、そんなようなことから始まるんだ、と何だか納得感はあった。

 

 

(2014年の時の記録です。多少の修正・加筆をしています)。

 

 

インターネットミュージアム 「ハイレッドセンター 直接行動の軌跡展」

[https://www.museum.or.jp/modules/im_event/?controller=event_dtl&input[id]=82053]