アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「生きるアート 折元立身」展。2016.4.29~7.3。川崎市市民ミュージアム。

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[生きるアート 折元立身] 展。2016.4.29~7.3。

川崎市市民ミュージアム

2016年6月30日。

 最初に、折元氏の作品を見たのは、10年以上前で、私自身が、まだ介護を始めたばかりで、混乱の最中だったこともあり、美術館で、自身の母親のアルツハイマーを作品にしてしまっているのを見て、正直、うらやましかった。それは、折元氏の介護の大変さも想像がつくのに、ただ黙々と介護だけをしている自分と比べてしまう、という屈折した気持ちだった。それでも、確実に何か気持ちが底のほうで支えられたし、作品になることを見て、どこか励まされていたと思う。

 

 それから、時間がたったが、あれから10年がたっているのに、自分自身がまだ介護をしているとは思わなかったし、再び、折元氏が個展を開くという事を知った時に、見に行こう、それも、妻と一緒に行きたいと思った。

 川崎市民ミュージアムでやるのは意外だったけど、川崎在住と知って、納得はいったが、この人の個展が見られるのならば、この場所は、自宅からも比較的近いから、ありがたい気持ちにもなった。

 武蔵小杉は、ずいぶんと変わった。すごくおしゃれになった。高層マンションが増えた。そのうちに、中目黒みたいになっていくのかもしれない、と思った。

 バスに乗って、何組かは同じ場所に行くのが分ったのは、チラシを持っていたからで、バスを降りて、すぐに美術館だった。立派な建物だった。

 

 作品を見て、どこか既視感があったのは、介護をしている光景が、あまりにもなじみがあるような気がしたからで、でも、この人は一人で母親をみていて、それは、想像も出来ないくらい大変なのだろうな、と思って、見ていたりもしていた。私は、妻と一緒に義母の介護をしている。17年がたっている。

 

 折元氏の、映像作品でもある食事介助の手さばきを見ていると、長く介護をやっている人というのが分るようなスムーズさもあったし、トイレの排泄の介護の時は、こんなに映していいのだろうか、とも思ったりもしたが、でも、その覚悟もあるおかげで、こうして介護行為が作品として残ってくれるのだった。

 

 さらには、母親と一緒に映像作品に映っていて、それは下手をすると利用しているとか、虐待しているとか、いろいろな事は言えそうだけど、その関係はすごく濃くて、しっかりしていて、何ともいえない、ここでしか見られない光景だと思った。確実に気持ちの底の方からかき回されている。そして、自分も、今は亡くなった母親の介護をしていた時のことも思い出したりもする。

 

 雑然とした部屋の中で、介護している時間の濃さみたいなものが、形として見えるようにさえ思えたし、そのあと、大量のドローイングが並んでいるのも見た。それは、ヘルパーが来ている1時間くらいの間に、近所の居酒屋へ行って、競馬の馬券にドクロを描いている作品だった。500枚ほど並んでいて、それはとても切迫したもの、切実なものに見えた。

 

 映像作品で、車いすのストレス、というのがあって、車いすにフランスパンをつんで、商店街を通り、自分にもなじみがあるような多摩川の河川敷を通り、その電車の線路を支えている柱に向けて、車いすを、叫んで、ぶつけていた。時に強烈なストレスに襲われる、という書き方に、どうしてもひっかかってしまって、ストレスはずっとあって、時々、爆発に近いあふれかたをしている、という方が実際に近いのでは、と思ったりもするが、そのビデオは目がひきつけられた。

 

 終わりが見えない、という言い方もちょっと違うような気がして、見え過ぎて、それも悪くなるルーティーンしか見えないから、終るのは相手の死でしかなくて、だから、下を向いて意識的に頭を固定するような毎日を過ごしていて、介護が終っても、その姿勢がなかなか変えられない、ということで、それが余計に閉塞感を生むのでは、とも思っている。

 

 そんなことを、折元氏の介護をする部屋の再現を見て、よけいに強く思ったりもしているが、こうして生きている、ということは、すごく伝わってきた。

 

 10年以上前は、一方的にうらやましがっていたけれど、今は、まったく知らない人のままで、失礼かもしれないけれど、勝手に仲間な感じがしている。折元氏のお母様は97歳くらいのはずで、うちの義母が100歳と思うと、何ともいえない気持ちになる。折元氏も、作品を作り続けて、20年以上、介護をしていると思うと、本当にお疲れさまと思ったりもして、折元氏も、介護する時間が、これだけ長くなるとは思わなかったのではないだろうか、同時にどこかいつまでも生きてほしい、という気持ちになるのだろうか、とも思った。そして、何より、こうした美術の活動がお母様の寿命を伸ばしているようにも思った。

 

(2016年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

www.kawasaki-museum.jp