アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「横浜トリエンナーレ2005」。2005.9.28~12.18。横浜市山下ふ頭3号、4号上屋。

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横浜トリエンナーレ2005」。2005.9.28~12.18。横浜市山下ふ頭3号、4号上屋。

 

 2005年12月18日。(来場2回目。最終日)。

 2日前に行こうと思って、妻の調子が悪くて、横浜トリエンナーレに行くのをやめて、もう行けないかと思ったけれど、そして、母と義母の2人の介護に加えて、その負担のため、妻は喘息になってしまうし、これ以上は、自分の持病を持つ心臓では無理だよ、と凄く嫌になって、でも、どこかでそれに負けないように、という気持ちもあって、午前10時過ぎに起きて、1人で出かけた。

 

 東横線に乗って、元町・中華街駅で降りる。

 駅構内にある青くてとげで出来ているようなプラスチックの入場券売り場に、かなりの列が出来ている。最終日のせいか、凄く混んでいる。その売り場にも「15万人突破」という言葉がある。けっこう人が入っているようで、それは、なぜか嬉しく思う。

 山下公園まで歩き、マリンタワーの横ではまたフリーマーケットをやっていて、風が冷たくマフラーをしている人も多い。寒い。

 入場券を見せて、すぐにバスに乗れる。前と違って、遠回りでないから、すぐに着いた。ロッカーがあいていて、今日、母が入院している病院に持っていく綿毛布を入れることが出来た。ここまでラッキーだ。その逆に、電話がないこの場所で、何かあったら、携帯を持っていないから、母への不安も少し高まる。

 

 さわひらき の作品へ向かう。

 通路の展示物のさらに奥。知らなければ、通り過ぎてしまうような場所。

 まっくら。小さめの暗い中に、スクリーン。前に人がいるせいか、最初は、ただの暗闇。というよりも、まだ始まっていなかったことは、後になって分る。

 

 ドアや、部屋の一部。アップになっては消え、そして、あるところから、小さいラクダが影だけになって、列を作って、ゆっくりと歩いている。部屋のあちこちに。影から影へ。大きさも場所によって、変わったりする。小さなガラスのビンの底に小さなラクダの影が輪を作って歩いていたり、そうした光景がゆっくりと流れ、場面が変わり、でも、退屈せず、見ていた。それは、本当にあるような風景にも思えてくる。

 約15分。

 

 それから、「天使探知機」へ向かう。会場のすみ。

 もう、人が並んでいる。スタッフに待ち時間を聞いた。「何分ですか?」「5分です」という答え。そんなにすぐに空くような人数に見えなかった。

 でも、少したって、人が出てくる。入れ代わりに人が入る。私の前の二人組みが止められて、ああ、やっぱり、いつものパターンだ。と思っていたら、入れることになる。

 中は、ベンチがあって、真ん中にガラスの電球みたいなものがあるだけ。中には、10人もいなかった、と思う。

 作品の内容はすでに知っていた。

 沈黙によって、光ること。

 

「完全に沈黙するとつきます」と、スタッフが告げた。

 さり気なく、沈黙があって、そして、ついた方が劇的ではないか?みたいな気持ちはあったけれど、時間が限られているから、そうもいかないようだった。

 さらに言葉が続く。

 

 「日曜の昼間ということもあって、外の音が入ってきます。だから、つかないこともあります。でも5分たって、つかない時は、すみませんが、次の方々もいらっしゃるので、出てもらいます」。

 

 少したって、沈黙が覆う。ほとんどすぐに、沈黙だけに包まれる。

 体を動かすと、ビニール製の上着を着ているから、音が出そうで、動けないくらいだった。

 外の音が、声が思ったより大きい。

 電球の真ん中の、フィラメントの中ほどが、ほんの少しだいだい色になって、すぐに消えた。

 沈黙を作り出そうとしている。外が静かにしてほしい。と思う。

 たぶん、そこにいる人は、同じようなことを思っているようだった。

 視線は、電球へ。

 

 同じように、みんなが見つめる。

 時間がたつ。

 5分って、長いんじゃないか⋯と思っていたら、予想以上に早く、「もう5分です」と言われる。

 いっせいに、笑いが、それも、柔らかい笑いが起こる。

 自分も少し笑っていた。

 外へ出た。

 外の音は、思ったよりも音が大きいわけでもなかった。

 

 外のサメの像。

 寒い、一番風をうける場所にある。白い、牛乳パックで作ったといわれなければ分らないほどの完成度だった。中に入れる。中には牛乳パックがぶら下がる。子供達と、一緒になって入って、なぜか「すげえ」と言ってしまい、少しだけ中に座って、すぐに出てきた。

 

 もう1つ、見ようと思ったものは、実は、すでに見ていたものだった。

 水平線を、レーダーかなにかで記録したもの。

 どこかに富士山があるはずです、と言われ、探したら、すぐにあった。

 妻と来たかったけど、今年になって、大人で喘息になってしまったから、無理だろうと思って、気持ちは暗くなった。

 

 予定していたものは、だいたい見ることができた。午後1時30分。それでも、1時間くらいたっていた。

 100円絵画が、今日はやっている。少し並んだ。

 1から、11まで。番号で選ぶようだ。

 今日のおすすめ。さだ絵画。とある。

 おすすめだし、これにしよう、と思っていたら、前の人が頼んだ。

 写真がらみで、コンパクトでしぶい。その前の人のぺんぺん絵画もよかった。どれも、思った以上にいい。

 だけど、おすすめを頼んだら、同じヤツだろうし、あまりに芸がない、などと余計なことを考えて、さっきからの第2希望「それでよい絵画」を頼んだ。下から、すぐに出てくる。作り置き、というタイ焼きみたいなことを思い、でも、折り畳んで大きくて、様々な色の点があるもので、ばりばりって、まだ乾いてなくて、それが作ったばかりみたいで、嬉しかった。「それ、何番ですか?」とまだ並ぶ人に聞かれる。

 それも含めて、なんだか嬉しかった。

 自分が、ここから出ようと思っていた午後2時まで、まだ20分くらいある。

 

 ショップに行く。Tシャツを買う。約4000円。昔なら買わない値段。経済的にまったく豊かになったわけでないのに、Tシャツとアートにカネをあまり惜しまなくなっている。それが合体しているので、と買った。そして、ポストカードが5枚オマケについてくる。

 それから、「場にかかわる」Tシャツも買いたかったが、売り切れだった。

「場にかかわる」テープを買った。

 

 午後2時から、ナカニワでパフォーマンス。寒いので、コーヒーを飲みながら、待っていた。

 堀尾貞治氏が、すっと出てきて、説明。

 

 『水で「ありがとう」と書きます。

 それをチョークでなぞってください。

 それだけです』

 

 時間がかかるかも、とも思った。

 単純かも、とも思った。

 チョークが配られる。時間もあまりないので、断ろうかと思ったが、でも最後のパフォーマンスだから、と思って、参加することにした。

 

 「下がって、下がって、大きく書きますから」というスタッフの声。少しおびえたように人が下がっていく。

 

 堀尾氏は、水をバケツでまいて、大きく字を書いていく。グランドにラインを引くように、続ける。字も、ごく普通の感じ。スタッフが、「まだまだ、書いてから」という声の指示。それに、周りも従っている。

 

 でも、「り」を書き終えたあたりから、堀尾氏の書いたすぐ後を追い掛けるように、人がわらわらわらっと群がるようになる。そうでないと、輪郭線がすぐにいっぱいになってしまうというか、少しも書けなくなってしまうから、と参加者が気がついたからだ。という私も、けっこう一生懸命、追い掛けていって、ほんの少しずつしか書けなかった。

 「う」まで書いて、ほぼナカニワいっぱい。

 

 「サンキュー、ありがとう」という堀尾氏に、拍手が起こった。私もしていた。笑っていた。

 10分足らずの出来事だった。

 これだけのことで、何か幸せな気持ちになれた。

 行ってよかった。

 ロッカーから、母へ持っていく綿毛布を出して、持って、バスに乗って、降りて、みなとみらい線。午後2時30分前には、横浜駅に着いた。母が、病院で年賀状を書くために必要だからと言っていたので、鳩居堂に寄って、シールと色紙も買えた。妻に電話したら、異常はないみたいだった。だけど、妻は咳き込んでいた。本当に大丈夫かと心配になったが、私は、母の入院する病院へ向かった。

 

 

(2005年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

 

横浜トリエンナーレ2005」

https://www.yokohamatriennale.jp/archive/2005/