2014年6月12日。
何年かぶりに会う友人と一緒に行くことになった。おそらくは、一緒に行けるような展覧会ではないか、と勝手に当たりをつけて、それがどうやらはずれなかったみたいで、よかった。
上野駅で待ち合わせをして、少し行き違いがあったみたいだけど、会えた。上野駅から、改めて歩くととても広い公園の中を歩いて、そして、美術館ばかりがある場所って、ちょっと不思議だったりもすると思って、気がついたら、公園のレイアウトみたいなものが変わっていて、歩く場所が広く感じるようになっていたり、スターバックスが出来ていたり、という風景を横切って、ここも改装してから初めてになる東京都美術館に来た。
今日は雨が降っていて、空いていると思っていたが、人はけっこう来ていた。ただ、並んで入場みたいなことにはならず、すぐに入れた。入場券を久しぶりに金券ショップで買って、定価よりも100円安いだけ、などとも思ったが、妻と二人分で200円だし、こういう細かいお金をバカにしない、というのを邱永漢の本で読んで、時々思い出し、それはお金を大切にするというよりも、考えとか思考と大雑把にしない、ということに近いのかもしれない、とも思ったりもする。
バルテュス展。チラシでの、下着を見せて目をつむっている少女の絵は、それほどエロチックではなかった。こういうポーズは、官能的、というような理論みたいなものがあるのかもしれない、とも思ったが、この展覧会のコピーの、誤解と称賛だらけ、の特に誤解が何かを知らなかったし、20世紀最後の巨匠、という評価も知らなかった。
若い頃の修業時代の絵は、決してうまいとは思えなかった。それでも、独特の絵のタッチみたいなものは感じさせて、それはどこかオタク的な美学みたいなものがあった。独特のポーズへのこだわりの強さは本当だとも思った。
それから、有名とされる少女たちの絵も、モデルが隣人の失業者の娘だったり、出入りの業者の娘だったりと、なんだか妙な抵抗感のある人選だったりもしたが、バルテュスは貴族の出身で、こういう言葉は安直だけど、没落した貴族という立場で、しかも、自分が取り組んで来た古典的といえる技法は、第2次大戦後に、アメリカにアートの中心地が移って行く中で、古くなっていっただろうし、というような屈折の中で、もしかしたら少女のエロスというタブーを描き続けていて、というような葛藤も感じる。
どちらかといえば、少年の方に興味があるのではないか、とか、かなり自己愛の強い人ではないか、とか、いろいろな事を思い、1枚だけ、惹きつけられる絵を(猫と少女 1945)のぞいては、個人的には、あまり集中できなかった。
戦争に2回も行って、生き残って来たのだから、もっと好きに描いたりするのだろうか、と勝手に思っていたが、何か屈折した感じがあった。郊外に移ってからの風景画も無理矢理古典技法を使っているようにさえ見えた。
奥さんの節子さんと出会ったあたりからの、その関連の作品は、生き生きとしていた。奥さんの体を描いたのは、エロスがあふれ、それでいて「好きなんだ」と思える絵だった。友人も似たことを感じたらしい。絵も伸び伸びとしてきたのは、晩年だった。東洋人の30歳も若い女性と結婚して、自分のいろいろな劣等感も刺激されず、楽だったのかもしれない。そして、自分が長生きして、巨匠といわれた人達も亡くなって行き、抽象表現主義、ポップアート、ミニマリズム、といった流れも見て来て、さらには新表現主義まで来て、なんだか、ホッとしたのかもしれない。それで、好きに描けるようになったのかもしれない。勝手な解釈だけど、晩年が幸せそうで、よかったなどと思った。20世紀最後の巨匠、というのは、ピカソが言ったらしいが、そこは素直に称賛だけがあるわけではなく、長生きして、こういう具象画を描き続けて来た人は一人しかいないよ、みたいな皮肉も少し入った言葉かもしれない、などとも思った。
誤解というのは、ロリコンではないか、みたいなことらしいが、そうではないと思ったのは、実物を見たせいだろう。ロリコンだったら、違う描き方をするはずだ、などとどこか自信を持っていえるのは、萌えアニメの本場に生きているせいかもしれない。
(2014年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。