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1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「瀬戸内 直島旅行」⑤。2016.6.7~6.9。3日目。直島「家プロジェクト」。

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「瀬戸内 直島旅行」⑤。2016.6.7~6.9。3日目。直島「家プロジェクト」。

 

2016年6月9日。

 今日はさすがに少しはよく眠れた。いつもは午前5時に寝て、昼に起きるというリズムだったのだけど、今日は9時には起きて、朝食を食べて、それから屋外作品を見ながら歩いて、バスに乗って、といった予定を立てていたのだけど、起きたら小雨が降っていた。この中で15分くらい荷物を持って歩くのは辛そうなので、バスに乗って、本村へ行き、そこで荷物を預けて食事をして、それから「家プロジェクト」を見よう、という事になった。

 

 その分、予定よりゆったりとできた。朝ご飯を部屋で食べ、コーヒーも入れて、テレビもつけて、静かな環境の中で妻と話もして、外を見たら、少し晴れてきたのだけど、午前10時になったら、館内のカフェが開いて、そこのショップも始まるので、そこに合わせて、部屋を出た。

 

 おみやげを選ぶ。一昨日は、チラッと見て、ジュースを飲んで…あわだたしかったせいか、けっこう見落としていたものが多くて、ご近所に渡したり、妻が好きそうなものを買ったりして、時間が過ぎて、チェックをして、買ったと思えたので、部屋に戻って、荷物をまとめた。行きは、二人で2つずつ。全部、機内に持込むことも出来たが、おみやげを買ったら、6つになってしまったので、これは、もう機内持ち込みは無理だと思ったので、どれを預けるかも考えながらも、荷物が多くなると、ちょっと気持ちは重くなる。支度が出来たので、チェックアウトをした。カードを使って、暗証番号も必要だった。問い合わせをしておいて、よかった。自分たちにとっては、かなりの高額だったが、それでも、それがすごく高いとは思えなかったのは、館内にも美術館があって、それがとても気持ちがよかった、という事だとも感じた。

 

 まだ少し時間があるので、屋外作品を少し見に行くことにした。道を下って、階段を下る。砂浜に近くなって、いくつか作品を見た。「茶のめ」片瀬和夫の作品。きれいな青い大きな茶わん。遠くに、大竹伸朗のボートを使った作品が見える。ガケに取り付けられた杉本博司の写真作品が見えた。ある地点からしか見えず、それは、バスの中からも見えないので、その意地悪さというか、信念みたいなものに感心もした。すごい。後で、足下に、ウオルター・デ・マリアの球の作品があるのに気がつかず、時間がなくなったので、ちょっとあわて気味で、階段を登り、戻って、バスに乗った。

 

 スタッフが荷物をバスに積み込んでくれて、この王様的な扱いも今日までだよね、と思いながらも、バスは動いて、曲がった道を下って、ああここからもさようなら、と思ったりもして、そうしているうちに、それほど時間がたたずに目的地に着く。受付や、「家プロジェクト」の中心の場所・本村ラウンジ&アーカイブに行き、家プロジェクト作品鑑賞ツアーに申し込む。今は12時前だから、約2時間あと。午後1時半からなので、まだ時間はある。ただ、このあたりの食事をとれる場所は、早めに行ったほうがいいかも、と教えられて、そばの「こんにちは」という店に行く。一軒家を少しリフォームした店。「ゆったりが標準なので、急ぐ方は言ってください」という言葉。その時間のゆっくりさも売りということらしい。目の前に海も見えて、そこでゆっくりと食事をした。

 

 そこから、ツアーに入っていない大竹伸朗の「はいしゃ」を見に行く。少し歩く。明らかに違う建物。中に入ると、色がすごい。異世界を作っているような深い青。船の形をそのまま使った部屋。あちこちに筆が走っていて、いろいろなものが貼付けられていて、それは、とても違う世界になっている。2階にもあがったが、1階で見上げた自由の女神の像がすごくでかく見えて、よくここに入ったよな、とも驚き、違う気持ちになれた。

 

 そこから戻った。ツアーに入っていない神社も行こうと思ったが、時間があまりないので、ラウンジでおみやげをまた買った。それから、時間がさらに過ぎて定刻になったら、ツアーの参加者がわたしたち二人だけだった。なんだかぜいたくな話だった。

 

 角屋。宮島達男。ドアをあけると、光が見える。デジタルカウンターが数字を刻んでいる。それが村民の人たちがそれぞれ自分の好きなペースでセッティングしたことももう知っている。いろいろな事を知識だけはすごく増えた状態で来たけど、この建物のひんやりした感じは分らなかったし、しばらくいると、水の中にコードが通っているのも見えてきたりとか、協力してくれた人たちに、そのカウンターの位置を記した記録を、それぞれに渡している、という話は初めて知って、それもこうして説明してくれるガイドの方と一緒でないと分らなかった。

 

 いろいろと話をしていると、この島の歴史とか、3000人の人口とか、塩で栄えたり、その後は金属業で発展したりと、いろいろな時間の流れがあって、その中でいろいろな膨大な人が関わっているのだろうけど、今は思った以上に狭い路地を歩きながらも、時間の蓄積が確かにあるものの、静かな町並みで、だけど、わたしたちのような観光客が、こうした平日の昼間にもあちこちを歩いていて、ホテルの時と同じように海外からの人たちが多いというのも一緒だった。

 

 話を熱心にしてくれたので、次に急ぎましょう、と言われて、南寺に着く。建物の設計は安藤忠雄、作品はジェームス・タレル。光がもののようにみえる作品を初めて見た時は、おおと思ったのを覚えているし、そうした科学の力を借りた作品だけでなく、建物を使って空を切り取り、見え方を変えてくれる作品もあったことを思い出しながら、入り口に行くと、人が並んでいる。15分ごとに何人か入る場所なので、混んでいるとかなりの時間を待たなければいけないらしいが、今日は人もあまりいないので、スムーズに入れる。だんだん暗くなり、壁をつたっていかないとどこにいるかも分らなくなるし、前を歩く人との距離も分らなくなり、目を開けているかどうかも分らなくなる暗さ。ある場所でベンチに座る。そのまま前を見てください。何かが見えてきたら前に進んでください、と言われ、そのうち、正面に色のない薄い光が四角く見えてきて、それはちょっと物質のようだった。だから、妻と手をつないで、まだ見えない、と言っているのだけど、そのままだと暗闇に残されるのは嫌だという感じなので、すぐそばまで行くと、ものすごく微妙に光があって、その光が煙みたいなものにあてられているのだけは分ったが、本当にものすごく弱い光だった。その信念の強さがすごい、と改めて思った。

 

 外へ出た。ガイドさんが荷物を持って、待っていてくれた。どうでした?と聞かれて、微妙でした。でも、こういう体験をさせてくれるなんて、すごいです、といったような事を話したら、何も見えずに出てくる人もいます、といった事を教えてくれた。そのそばにトイレがあって、それは、それまではこの村にトイレもないので、家の方々に協力してもらっていたのを、このトイレは安藤忠雄が設計していたということも知り、そして、そのそばのベンチで近くの自販機で飲み物を買って、少し休憩をした。ガイドさんのお気に入りの場所だという。

 

 そこから歩いて、碁会所へ行く。須田悦弘の作品がある場所。知識だけはしているが、思ったよりも小さい建物。4畳半が2つ左右対称で並んでいる。片方は、畳につばきの花が散っていて、その花が作品。そして、隣の部屋には何もない。わたしたちは、その部屋の区切りの竹が作品だということを知っている。ただ、その庭は、速水御舟の作品を模したものらしく、ある意味ではジオラマのようなニュアンスもあるらしいというのは初めて知った。すぐそばで見る。それでもよく出来ているから、木彫りのものとは思えない。ここにずっとあるんだ、と思った。

 

 そこから歩いて、石橋。千住博の作品。日曜美術館の司会をしている人。作品は、銀を使っていて、だから時の流れと共に色が黒ずんできて、それも含めて、という話で何だか感心もする。この家は大きく、その中の一室を控え室として使っていたらしく、そこに表札らしきものを千住が作ったという話を聞く。「福武方 千住」と書いてあって、スポンサーに対して、こういう気の使いかたが出来ることがすごいとも思った。「石橋方」という書き方も出来るのに、すごいとも思ったけど、そういう感想をもつのは、ひねくれている証拠なのだとも思った。

 

 これでツアーは終った。1時間半ほど。たっぷりと楽しめたし、豊かな時間になった。御礼を言って、そして、次の護王神社に行く。そのことも教えてもらったが、その神社は、出雲大社のように、仏教が渡来する前の本当に板ぶきのような屋根で、質素な作りなのは分った。工作みたいにも見える。そして、その下の通路みたいなところは、とても狭く、昔の肥満した自分ならば通れないような場所。そこを抜けると、本殿の下。ガラスの階段が、地下まで通っているのが分る。ある時間、ある季節だけ、その下まで太陽の光が届くらしい。それも、ガイドさんが見たのは薄曇りの日だったらしい。出雲大社は、記録によると、かなり高い場所に作られていたというのを聞いたことがある。このガラスの階段は、その比率も含めて再現しているのではないかと思い、杉本博司は、やっぱりすごいとも思った。

 

 すごく充実した時間だった。

 そこから、バスの来る時間まで待って、港に向かった。そこで、おみやげをまた買って、時間がたって、船が来た。岡山の宇野港までは、島が見えているままだし、20分なので、海の旅、という感じがしないまま、着いた。そこからは、もうただバタバタして、岡山駅まで向かい、途中でレンタル携帯が鳴ったのに気がつかず、といったことをくり返して、弟に久しぶりに会えて、空港までクルマで送ってもらって、少しまたあわてて、弟とお茶が出来たのはわずか10分だったけど、荷物も預けて飛行機には乗れて、羽田に降りて、バスに乗って、近所のガストで夕食を遅くに食べた。

 

玄関には、紙おむつがあって、電話で、この時期は避けてくださいとお願いしたのに、とがっかりしたが、何事もなく、眠りにつけた。義姉に毎日、ショートステイの義母を見に行ってもらったおかげで、安心して旅行に行けた。2泊3日の旅行は、わたしたちにとってはけっこう大がかりなプロジェクトのようだった。20年くらい前から行きたかった直島にやっと行けた。ただ、ものすごく楽しかった。妻も満足で、それもうれしかった。

 

 

(2016年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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