アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

『川俣正 「通路」』。2008.2.9~4.13。東京都現代美術館。

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川俣正 「通路」』。2008.2.9~4.13。

東京都現代美術館

 

2008年4月5日。

 

 会場には、ベニヤ板が並んでいる。入ってすぐのところの奥に、なにかあるかも、と思って一応、見ていたら、道に迷ったと思われ、受付の女性が来て、「こちらです」と言われた。

 

 会場は、ずっとベニヤ板だった。途中で、これまでのプロジェクトの写真があったり、壁にはプロジェクトの立体を再現してあったり、(この斜め具合がよく出来ていた)、今やっていることの作業中の部屋というかコーナーもあったりもした。あちこち歩いてください、というわりには、迷路っぽさは足りない気がした。だけど、予算とかいろいろな制約があるのだろうし、と思った。

 

どんなプロジェクトでも、他の事と同じように取材を協力をお願いして、ダメなら次をあたる、みたいな事をしていく、という普通さというか、同じスタンスがポイントなのかもしれない。でも、この人のやっている事はアートだろうか。アートいう名前を借りて、自分のやりたいことをやっているようにも見えるが、それは、こちらが無知なだけかもしれず、でも、この方法はすごく、勝手に共感できる。

 

 「通路」を、見て回って、なんだか時間の流れ方が、いつもと変わらない感じがした。美術館は、いつもと違う時間の流れ方がしたりするのに、日常と変わらない印象で、それが、少し不思議だった。アイデア募集というのがあって、「最強のアイデア」は、土の中に家がある、という小学校3年生のアイデアで、それを実現させるために、すでに動き出していて、土地を見つけた、というところまで進んでいる事にも少し驚いたりもする。実行力、という力強いものが、確実に、ここにあると思えた。

 

 地下へ行くと、いつもは裏で入れない場所を通って、中庭へ出られた。その途中のベニヤ板は、すごくびっしりとすき間なく並べてあって、これまでとは違う気配を感じた。庭は、あんまりベニヤ板がなくて、また戻ってきて、少し歩き回って、あまり変化がないのに、なぜかずっと興味が続いた。

 

「通路」カフェでコーヒーを飲んだ。妻と、二人で話していた。土曜日なのに、あまり人もいない。缶バッチを買って、いろいろと話をしていたら、川俣正本人が、どこからか、あらわれた。ラッキーと思った。

 

 そして、女性3人と何か話していた。丁寧だった。そのうちにサインがうんねんという話が聞こえてきて、「お、わたしたちも、もらおうか」と妻と話したりしていたけど、やっぱり悪いような気がして、やめた。その3人と話していて、「それじゃ」みたいになってから、川俣氏は急に小走りをして、去っていった。

 

 実は、けっこう急いでいたんだ、と思った。だけど、その気配が感じられなかった。ああいう時は、次があるから、気持ちが次に向けて、そっちに気持ちの重心が少しかかったりしていて、そういう気配は少し離れていても十分に伝わってくるものだけど、2〜3メートルの距離だったのに、私には分からなかった。

 

 本の中に、川俣の言葉として「交渉した相手に嫌な印象を残さない自信がある。断られても嫌な印象を残さない自信がある」みたいな部分があって、こういう事かと思った。

 その人と今、話している事。関わっている事がすべて。その事に集中できるか、どうか。それが、実は交渉というものの大事な要素なのだろう、と思わされた。

 

 そして、そういう中で人に上下をつけたり、重要とそうでないものの差をつけてしまったり、というのが人間なのに、そういう気配も少なかった。

 だから、大規模なプロジェクトをやってこれたし、これからもやっていけるのだろう。と思った。世の中にちゃんと生きている人がいる。というのを、目の当たりにした気がした。

 

 こんな短い時間で、何が分かる、という見方も出来るのかもしれないが、でも、その5分間で、この作家の大事なところを見た気までした。感心した。妻は、その時間を見ていて、川俣氏を、川俣さんと言うようになり、一気に株が上がったようだった。

 

 来てよかった。

 缶バッチはけっこうかっこよかった。

 ショップに寄って、「通路」の本を買った。

 予定より早いバスに乗れた。

 楽しく充実した時間だった。

 川俣正って、すごい、と思った。

 

 

 

(2008年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

www.mot-art-museum.jp