2010年2月27日。
束芋を、横浜トリエンナーレで初めて見たのが、もう10年くらい前になる。あの時は、トリエンナーレが、すごく楽しみで、電車の中からホテルにくっついた、事前に見ていたイメージよりも少し小さいバッタを見ながら、なんだかわくわくしていた。
それは、個人的な事情だけど、ずっと介護を続けなくてはいけない、という毎日が、少しでも気持ちが違ってくるのでは、という微妙な期待があったのだけど、そこで初めて束芋の作品を見て、アニメの手法で作品に仕上げる、という、日本でならばどこでも見られそうだったのに、他に誰もやってなかったような方法で、自分がリアルには知らないのに、漫画雑誌の「ガロ」みたい、などと勝手に思い、確かになつかしい気配が強い作品だった。それが出展者の中では最年少だと知り、なんだか感心もした事をおぼえていて、だから、それから原美術館での個展も行けなくて残念だった。
だけど、考えたら、それから10年たって、まだ変わらずに一線でやり続けている、というのは、2001年当時は、最年少という、もてはやされ方をしたのに、地道にまじめにやってきたのだろうし、何より基本的に才能があってきたのも、分かる気がする。
東横線とつながっている、みなとみらい駅で降りて、そこからわりとすぐだから、横浜美術館は以前よりも近くなった。入り口からもう全体が暗くなっていて、ホールにはもう作品があった。団地から、様々なものが落下していく映像が延々と続いている。そのアイテムが掃除機だったり、仏壇だったり、畳だったりと、たぶん意識的な選択だと思うのだけど、どちらかといえば団地の貧乏くささ、みたいな象徴のものが落ちていっている。入場券を買い、エスカレーターに乗る。全体が暗いから、いつもと違う空間にも思える。
最初の部屋は、新聞小説の挿絵、に使ったという作品が並ぶ。ぐにょぐにょとしていて、体の部位では指や髪が多用されていて、筋肉はどちらかといえば苦手に見えるけど、体から離れない、それででも、乾いた感じがあるから、グロテスクにはならない微妙な間合いに絵があるように見えた。
その部屋の奥には、「油断髪」という、タイトルの髪の毛がずっと映っているような作品で、なんだかドロドロしている気もするが、ドロドロしすぎず、あっさりとしていて、もっと吹き抜けを使うように、長い場所での作品になったら、もっと面白いのに、などと勝手な感想を思った。
それから、団地の断面が次々と映し出される映像。人にはいえない事情がある部屋ばかりだと思うバリエーションが展開され、畳とふすまだけの何もない部屋が映った、と思ったら、底がぬけて暗闇に転落していった。団地に住んでいて、同じ間取りで違う人たちがたくさん住んでいて、アリの巣の観察のものみたいに、片方が透明だったら、面白いのだろうか。おそらく自分たちとそれほど違わない生活が営まれているだけかもしれないけれど、それが、何もしていなくても、人が完全に、人目を意識していない姿を見たい、というのは、実はのぞきの欲望みたいなものではないか、といった、そんな事を思わせるような映像だった。
かなり観客がたくさんいた。
映像作品があと2点。
鏡を使って、人が出来て、みたいな映像。
水の上に立っているような気持ちになって植物があちこちで育つ、みたいな映像。
どちらも立体的といっていい構成で、前を向いていたら後ろで何かが起こっている、みたいな映像は楽しかったし、実際に現場で見ないと分からないような作品だとも思った。アニメだから、あんまり量産は出来ないかもしれないけど、でも、これとたとえば「鷹の爪団」とどう違うか、といえば、分かりやすいストーリーがない、というだけで、それほど違いもないような気もするのは、理解が浅いせいだろうか、などと思う。
途中でダンスや、演劇などと、束芋の映像が組み合わされたパフォーマンスもあったことも知り、見てみたい、とは思った。3ヶ月の会期があって、その長さを支える作品ではあったと思うが、勝手な観客の願望だけど、もっと小さい短いささやかな作品群も見てみたい、とあとになって思った。
(2010年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。