アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

お絵描きのお家による絵画展『しんかぞく』。2019.1.13~26。共同アトリエ「B.Esta337」。

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お絵描きのお家による絵画展『しんかぞく』。2019.1.13~26。共同アトリエ「B.Esta337」。

2019年1月26日。

 東浩紀ツイッターで、この展示を知った。新芸術校の展示で、和田唯奈の作品を見て、その時は弓指寛治氏と同期で、タイプが違って、どちらも才能があるのに、同じ世代に来るなんて凄いというか、この学校の強運も感じたが、その時に和田は、パッと見ただけでは、様々な技法を使っているような作品を並べていた。それは、人の要求に従って描いた絵だと知り、不思議な印象を受けた。どんなことでもできる技術の高さがすごいと思った。さらには、自己主張が人一倍強い人たちの集まりだと思っているのがアーティストといわれるような人たちだと思っていたから、他の人の要望に応えていく方法に、意外な感じも受けた。

 

 これまでも、アーティストは、どうやって伝えるかを本当に真剣に、考え続けて、作品を作り続けているのだろうから、そのことで、すごく力づけられて、そのために大げさに言えば、生きる力を分けてもらっているような気持ちになれることが多かった。そのおかげで、去年の暮れに突然終わってしまったが、介護してきた19年間も支えられてきたのだけど、いつのまにか、その必要性だけでなく、アートを鑑賞(といった余裕のある態度ではないものの)すること自体が好きになっていた。

 

 和田唯奈が、地道に活動を広げていることを、失礼ながら知らないままで、同期の弓指氏の活躍は、ここ1年くらいは個展などがあるたびに見に行っていたような気もするが、和田のことは、申し訳ないのだけど、その間は忘れていたのかもしれない。

 

 妻を誘ったら、興味を持ってもらった。SNSを効果的に使うことで、不便だったり、無名な場所でも展示を行い、人を集めることが可能になって、そのやり方自体にも興味はあるし、和田のツイッターに「すごく短くいうと、いっしょに住まなくても家族になれるんじゃないか、という仮説を、絵画を媒介に思考した展覧会です。それはたしかにアートだけど、セラピーでもあり、教育でもあり、どうやらほんものの家族らしくもある。ぜひおみのがしなくm(._.)m 1月24日」という言葉があって、すごく興味を持って、作品そのものだけでなく、その試みも確かめたくて、行きたいと思ったが、もう最終日になった。

 

 私は、午後に他の場所でのトークショーに行き、秋葉原の駅で妻と待ち合わせ、予定よりも遅れてしまい、心配させたことをあやまって、それから隣の御徒町で降りた。地図を見て、あれこれ迷う。固くて冷たい風が吹き抜けていて、そして、最後の段階になって、なかなか見つからず、あきらめるような気持ちになった頃、本当に細い路地に入って、引き戸にポストカード大の紙を見つけ、場所が分かった。着いてよかった。

 

 ドアを開けたら、人がたくさんいた。明らかに普通の一軒家のはずだけど、映像とか写真が、ところ狭しと並んでいた。最初の部屋は、昨年の11月に行った「絵が家になる」作品の記録だった。家族をテーマにして絵を描いたメンバーが集まり、いろいろな街で絵で家を作る。映像を見ると、とても楽しそうだった。それ自体が家族の小旅行みたいにも見えた。

 

 次の部屋が「絵と家族になる」というテーマで、これも昨年の12月1日、2日に、この場所で行われて、ここに絵を描くことを和田に習いにきた人たちの作品が並んでいた。

 2階に行こうとしたら、今、映像を見てもらっているところで、8分半あって、もうすぐ終わるので、ということを言われ、1階で、作品を見ながら、待つ。広いとはいえない会場でたくさんの要素もつめこむようにしてあるのに、ごちゃごちゃしていない。

 

 映像が終わったみたいで、声をかけられた。2階へあがる。

 ベニア板みたいなもので囲われたところで、映像が始まる。それは、家族をテーマに最初に和田が絵を描き始め、そして、家族というものに関して、描いている人がどう思うかを語りながら描いていく映像が続く。そして、次の人が、前に描いた絵を映像で映しながら、そこに重なるような絵を描いて行く。言葉も語っていく。次の人は、2人が描いた絵が重なる絵が映し出され、その上に描いていく。その繰り返しで、8人が描いていって、映像が終わる。

 

 次の部屋に行くと、8人が、そうして描いたそれぞれの作品が並んでいる。和田以外の人は知らなくて、だけど、その絵がすごく価値があるようにも見えるのは、映像を見たせいだと感じる。

 

 さらに、その部屋にあるノートが、和田が、この展覧会を開くまでの、たとえば、映像にある8人の絵の描き方は別のノートにも記録してあった。さらには、この展示に至るまでの細かな会議やテーマ、そして、どう進むべきか、といったことが本当に具体的に分かりやすく書かれていて、これ自体が一冊の本になる価値以上のものがあると思った。このノートを読んだだけで、どこまで理解したか分からないにしても、和田のプロデュース(といったビジネス用語は合わないけれど)というよりも、人の背中を的確に押し続ける能力の高さに、感心もし、終わってから、「じっくり見てもらってありがとうございます」と言われ、2人で1000円をカンパして、本当は2000円くらいは入れるべきかも、と思いながらも、でも、和田に話しかけられた。

 

「どこで知りましたか?」と聞かれ、新芸術校の展示を見て、うまい人だと思ってました、みたいな中途半端な感想を言ってしまったのだけど、「うれしいです、これからもおねがいします」と真っ直ぐな視線で言われ、あまり作品を見てこなかったから、自分がそんなことを言われるほどの価値はないのに、という恐さとともに、うれしさも感じた。義母が亡くなってからの空虚感が、まだ1ヶ月以上続いていたが、作品を見ている時は、それを忘れていたようで、ありがたい展示だった。これから、また展示を見たいし、人を包括する、といった視点でも、すごく興味がある試みだった。

 

 

(2019年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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