1998年2月14日。
ヨーロッパのその前の時代の過剰とも思える装飾やデザインを、身にしみて知っていれば、このスッキリした感じは、もっととてもイイものと思えただろうけれど、現代の人間が見ると、そこまで新しいものと思えないのも当然だろうから、その時の感覚を想像するしかない。
写真中心の展示は、少し退屈する時もあった。
「デ・ステイル」の端の端。コルビジェから、直線的につながっているはずの場所に、見なれた景色があった。コンクリートの建物の集合体。それは、そこから伸ばした線に、日本の集合住宅、自分にとっては社宅。
すべてが、同じ方向を向いた社宅で育った。その丘の上は、すべて家族向けと独身寮のコンクリートの4階建ての四角い建物が並んでいた。その下に工場があった。今、見ると、そんなにいいところだと決して思えない。でも、コルビジェからつながって東洋で変化して20世紀後半になって到達した、一つのゴールだったと思う。こんな結果になるなんて、思いも付かなかったかもしれない。でも、ある意味で、ものすごく忠実なモダニズムのようにも思う。
みんな、いっしょ。ただ、日本の団地というような集合住宅は、「果て」という表現が似合う場所だとも思う。
会場でもらったリーフレットの言葉。
『「デ・ステイル」とは、1917年に創刊された芸術雑誌の名であり、絵画、彫刻、デザイン、建築というジャンルの壁を超えるべく集まったグループの名である。
極めてラディカルな理論と極限まで切り詰めた純粋な造形。その影響は、同時代のバウハウスを揺るがし、コルビュジエから現代建築にまで及び、ダダや抽象美術運動さえもデ・ステイルぬきに語ることはできない。
あらゆるモダニズム運動の原器であった知られざるデ・ステイルの全貌を250点の作品で明らかにする日本で初めての真に大規模な回顧展』。
(1998年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。