1999年12月18日。
佐倉美術館には、いい印象があるが、悪い思い出とも結びついている。母が本格的に病状が悪くなったのが、佐倉美術館に行こうとした時だった。それが今年の2月だった。現代美術というジャンルというテーマには、どちらかといえば理屈から入った私にとっては、かなり魅力的で、その遠さにも関わらず出掛けたのが最初で、手ごろな大きさとキレイさ、光りの入り具合い、モダニズムなイスもある。
今年の2月、フンデルトヴァッサーの展覧会を見ようとして、電話で、母が悪くなったのを知り、すぐそばまで来ていたのに、帰ることになり、見ることができなかったのが今年の2月だった。その後、その作家は亡くなったと新聞で知った。
そして、今回もでかけた。母と一緒に暮らし、母を見守るような生活は続いていたが、別の場所で母は暮らせるかもしれない、というわずかな希望はほんの少し見えていた。
宮島達男の講演会も聞いた。今回の展覧会に作品は出してないのだが。(くわしくは、2000年オペラシティーの宮島達男展の時の原稿に書いた)。申し訳ないのだけど、それより強い印象が、知覚の実験室という展覧会には、なかった。大きなローターや、座って上を見ていると、自分が回っているような気になってくる装置はおもしろかった。
精神的には、当たり前だけど、受動的というよりは、アートは能動的な部分があると思った。
(1999年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。