1996年11月13日。
最初は、またテレビだった。
幻想的という言葉はあまり使いたくないが、まずそんな印象を受ける建物が映っていた。気持ちのいい暗さが広がる空間に物凄く計算されているはずなのにとても自然で不意を突かれるほどの外の光が差し込んでくる。その礼拝堂はヨーロッパにあり、外見は微妙な曲線で構成され、見る角度で形が違って見えるようだった。そうした表現が大袈裟に思えないほどの建築物。無知なせいもあるが、建物でそんな印象を受けたのは初めてだった。ロンシャンの礼拝堂。
同じ建築家が、いわゆる団地の設計も手掛けていた。それは、今も残っているが、それほど広くないのに赤、青、黄色をうまく使っているせいもあって、快適そうで住み良さそうなのが画面を通しても分かる気がした。自分も団地暮しが長かったけれど、こういう所に住みたいと思ったほどだ。
建築家の名前をしっかりと憶えたのも初めてだった。
池袋のせゾン美術館で『ル・コルビジェ展』が開かれるのを知ったのは、それから少したったころだった。同じ頃、木村拓也と田村正和と宮沢りえも共演したドラマで建築家が中心だったので、ル・コルビジェという名前が多く出ていたせいもあるのか地味めの企画に思えるのに、若い人の姿もかなり目立った。
模型、写真、設計図、スケッチ、絵画。
そうした展示で、建築家の仕事を表していた。テレビで見た建築物も当然のようにあり、あ、これだ!とホントはあんまり良くないのかもしれないが、心の中でちょっと喜んだりした。
例えば、テレビなどで聞きかじったことだとコルビジェは近代建築の父といった存在らしい。今でもどこでも見ることが出来る直線で出来ているビルはその直接的な影響を受けているそうだ。「建築は住むための機械である」。その言葉が、その証拠のように言われているらしい。だから、コルビジェには功罪の両方があるといわれているのを、ちょっと前に知った。
でも、美術館を見終わって、勝手なひいきめなのかもしれないが、悪いのはコルビジェじゃない。と確信した。
設計図もスケッチもプランも、美しさを感じさせるものだった。
ただ、こういう直線で構成された建築物は真似しやすく見え、実際に一見よく似た建物がすぐ出来てしまうのだろうが、似ているだけに返って気持ち悪いものになってしまうのは、今の日本の都会を見ても分かるような気がする。
建築は3方向から見た設計図から始まるのが常識と聞いたことがある。でも、コルビジェの作品は明らかに最初にイメージがあって、それを設計図に起こしていく。そんな手順が見えてくるように思えた。
無機物を扱う人ほど快適さ、美しさを本当の意味で知らないとだめなんだ。
そう思うようになった。
たぶん、そうした豊かさを軽視したところに現代の表面的には見えにくい貧乏臭さがある、と感じた。
ちなみに「住むための機械」という言葉は、人間が快適に住むための道具ということだろう。言葉あてをしても仕方ないかもしれないが、言葉を誤解しすぎてもだめだろうなとも感じた。正確に反省して、基本から立て直す。これから必要で重要なことの一つだと思う。
リーフレットにはコルビジェの詩集「直角の詩」から、こんな詩が書かれている。
「私は
建てることを仕事としている
家や宮殿を
私は 人間たちの真ん中で
人間という糸の
こんがらかった真っ只中で
生きている
一つの建築をつくることは
一つの命あるものを
生み出すことだ」
(1996年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。