2016年2月14日
浅田彰が思った以上に、この展覧会をほめていたのを知った。その一方で五百羅漢図展は、つまらない、と切り捨てていた。そのあとに東浩紀が、その逆とも思えることをツイッターで言っていた。これから見るのに、人の評判みたいなものに、少し揺らぐ。渋谷のパルコで見た「スーパーフラット」の展覧会(2000年)のことも思い出した。
午前中は嵐のような天気だった。洗濯したタオルケットが、重たいくらいに濡れているから、いったん起きて、雨の中で洗濯機に入れて、「風邪乾燥」をかけて回して、また寝たら、昼を過ぎていた。
電車に乗って、久しぶりに途中の駅でパンを買って、ホームで食べてから、また電車に乗った。
みなとみらいの駅。前はただの空き地だったが、そこに新しいビルが出来て、それが新しいせいか、何しろ、華やかな場所で、そこを抜けないと美術館に行けないようなルートになっていた。
美術館には、人がけっこういた。展示室に入る前に、やたらと巨大な作品があった。ライオンのような、人間のような、完成しているような、未完成のような、やたらとでかいもの。
その前にキーファーの作品があって、それは戦闘機の一部を使っていて、やたらと大ぶりな感じで、いつものように重量感のある作品。
骨董といわれるものから、さらに古そうな陶器。そして、奈良美智のキャンピングカーのような作品もあって、いわゆる現代美術の作品は、あれこれと、なんでもあるような感じに並べられていた。さらに、昔の人の絵から、白隠の掛け軸もあるし、Mr.やカテランもあるし、(小ちゃいエレベーターは、横浜トリエンナーレで見たのを覚えている)、青島千穂もあるし、竹熊健太郎も並んでいる。デミアンハーストもあれば、村上の父の作品も、弟の作品もある。
いろいろなものがあったが、バラバラのようで、でも、何が新しいのか、何が芸術なのかをわかろうとしている切迫感のようなものはあるし、あれこれと、いろいろなものがあって、見ていて、ぐったりするくらいのものがあった。
指差し作業員といった作品や、色鉛筆だけで描かれた猫の絵とか、あれも、これもある。ヒップホップが、すでにアートのテーマになっている作品もある。何しろ、ここに作品のあるアーティストの名前で知らない人もけっこういる。ごちゃごちゃした部屋もあったし、そして、村上のステートメントはいつもながらストレートな部分が多くて、なんだか気持ちが揺すぶられる感じがあった。
とても重量感のある図録も、予約して購入することにした。
(2016年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。