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1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

ハラドキュメンツ9 安藤正子 ― おへその庭。2012.7.12〜8.19。原美術館。

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ハラドキュメンツ9 安藤正子―おへその庭。

2012.7.12〜8.19。原美術館

2012年8月18日。

 近所のギャラリーのオーナーが見に行って、すごくよかった、とてもよかった、と連発していて、最初は多少迷ったりもしたけど、その声で絶対行こうと思った。明日までだから、今日しか行く日がないと思っていたのに、午前中は激しい雷と雨の音で、眠りが極端に浅くなり、出かけられるかな、という不安もあるので、さらに浅くなり、眠いまま時間になった。午後1時くらいには着きたいと思って、あれこれ乗り換えて、五反田駅に着いたら、もう目的のバスも来ていて、乗った。これだけぎりぎりな感じで目的地に着いたのは初めてだったが、御殿山に行く途中にソニーの本社がきれいになくなり、マンションになっていた。本当に時代の流れが変る時ってあるんだと思えた。

 

 原美術館の敷地内にピンク電話があって、ダイヤル式なんて、本当に珍しく、そこでかけて、久々にダイヤル式の回る感触がなつかしく、気持ちがよかった。家に電話を入れて、4回以上鳴ったので、切った。たぶん家の留守番電話に、伝言は入っていないので。

 

  美術館には、学生料金で入れたが、学生証の裏まで見られたのは初めてだった。入ったら、もう細かいだけでない世界が広がっていた。ただ完成度を高める、というのだけではない何かは確かにあって、それは自分の中の感覚でしか分からないものを形にしていく、という「素朴派」と同じ手法であるのに、その技術がすごいというか、その手間ひまが、思っているけど出来ないというレベルに達していて、よく出来ている、こんなに出来ている、と思う半面、ところどころ変な世界がのぞいていて、リアルに描いてあるだけに、ちょっとした恐さみたいなものも感じる。

 

 ペインティングは、その表面がつやつやしていてい、それも機械的なつややかさではなく、もっと手で磨き上げた、変なたとえだけど、古い旅館のぴかぴかの廊下、ではないか、最初はジャスパージョーンズなどが使っていたロウを使うやりかたかと思ったが、そうではなかった。何度も塗って乾かしたり、なじませたり、サンドペーパーも使って、少しずつ磨き上げたらしい、と展示室にあるメールインタビューで知った。作品数は少なく、チラシには「これまで発表した作品は10点ほどしかありません」書いてあったが、それは、これほどの手間をかけているのだから、と納得する気持ちになれた。

 

 今年になって描いた作品の中に、鉛筆で描いた、これまでと同じように、ものすごく精密に描かれた絵なのに、落書きのような線が人体に描かれていたり、赤がなじむのではなく、にじむように描かれた感じに、落とすように色がついている作品があったから、その方向に進んだら、また違うものが見られるのかもしれない、などとも思ったりもするが、植物も、とても魅力的に描かれていて、やっぱりキレイなのに、柔らかく閉じ込められているのが独特なのだと思う。

 

 近くのカフェに行こうとして歩いたが、休みだった。近所のギャラリーに行って、安藤正子展に行って来た、という話をしていたら、初めて会うけど、このギャラリーによく来ていそうな女性が、同じ展覧会を見て、その話を妻としていた。偶然だった。その後、買物をして帰ろうとしたら、スーパーの前で10年以上会っていない知人と会った。やせたことを心配された。地元が同じ人のお母さんが亡くなった、ということで、妻は急遽、お線香をあげにいった。その後、妻は、母校の中学の同窓会の打ち合わせに出かけ、私は困惑の元になっているマンション建設反対のことのために30分だけ出かけた。いろいろな人に会った。時間の軸が様々に動いたような不思議な日だった。

 

 

 

(2012年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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