アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

岡本信治郎 展。「空襲25時」。2011.8.9~9.19。渋谷区立松濤美術館。

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岡本信治郎 展。「空襲25時」。2011.8.9~9.19。渋谷区立松濤美術館

2011年9月19日。

 近所にギャラリーが出来て、そこのオーナーの女性が、妻と特に仲良くしてくれていて、そこでいただいた招待券を持って、今日が最終日の展覧会に出かけた。

 

 休日の渋谷だから、人がたくさんいるんだろうな、と思いながらも、少し予定よりも早めに起きて、駅に行き、電車に乗る。松濤美術館といっても、何度か行っている能楽堂とは、かなり違う場所なのをインターネットで見て、調べて歩いていって、だんだん渋谷とは思えないくらいの静かな感じになってきて、道路を右に曲がったら美術館だった。昔ながらの美術館というイメージだから、それほど行かないけれど、テレビで見て、行きたいと思った展覧会だった。

 

 入って、薄暗い感じの館内はあいかわらずで、地下1階と2階に展示があるのは聞いたが、どちらが先とかは分からないけど、2階から見ることにした。

 2階は、2001年のアメリカの同時多発テロで、ツインタワービルが崩壊するところなどが、ポップで鮮やかな色の絵で、描かれていて、どうして、こういう事を、こうした描き方をしたのだろう、と思いながらも、その絵が、ここのところというか、わりと最近になって描き始めたことに、そして画家が70歳を超えていることを思うと、今描いた意味を考えるような気持ちにはなって、それから地下1階に「第一展示室」へゆっくりと動くエレベーターに乗って下がった。

 

 最初の展示室は、第2次世界大戦、というか、東京への大空襲だったり、原爆の投下だったり、といったものを、やはり明るい色ばかりで、でも、それは、今から何年か前に描き始めたのを考えると、今になったから、描けたのかもしれない、それに、いろいろな名前を描いていたり、自分の奥さんが防空頭巾をかぶっていて、12歳で生還す、というようなかわいい絵があったり、あれこれの要素がものすごくたくさん描きこまれているような屏風のような、そんな大きい作品で、それは展示室いっぱいにあふれていて、近くで見たり、遠くから見たり、いろいろとしているうちに時間がたった。

 ご本人もいて、少し遠くから、話し声も聞こえて、そして、年表なども見て、何かしらの重大なシンポジウムに病気のために欠席、みたいな文章がひっかかって、いろいろと考えていた。

 

 今、78歳で、戦争の時、というか終戦の時が12歳のはずだった。だから、戦争を描くのもいろいろな意味があるはずで、戦争中に子どもだったのだから、でも、なぜ、今描いたのだろう、とは思ったが、やはり、アメリカのテロをきっかけに描こうとは思ったのだろう、と思ったら、カタログにそういう事が書いてあって、描かないと死ねない、みたいな気持ちだろうけど、かかる手間ひまを考えたら、ちゅうちょするのに、まずは始めたすごさみたいなものがあったり、あとは、妻と、どうしてああいう題材を、あああいう明るい色を使ったんだろう、という話になった。人に見てもらいたい気持ちが強かったのかもしれないと思ったのは、長年、凸版印刷のアートディレクターをしてきた経歴も含めて、考えたりもした。

 

見終わってから、10分くらい歩いて、宇田川町の路地にある「アンド ピープル」というカフェに行き、よかった。

 

(2011年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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