1996年8月19日。
友人の親子と一緒に初めてゆりかもめに乗って、東京ビッグサイトへ向かう。とても遅い電車だが、レインボーブリッジもぐるぐる回ってから渡っていくことも、観光気分が盛り上がる。
『アトピック・サイト』。サブタイトルが、「希望的都市生活のためのアート展」だった。でも、その時妙に話題を集めていたのはビニール製の人形の男性器の部分が警察の手で包帯に覆われていたことだった。なんで、そこまでするのか分からなかった。後援が文化庁など、役所がらみだからだろうか。その後、作品が政治的すぎると検閲され、修正されたりしたといったことも新聞に載ったりしていた。
このイベントは、「アトピックサイト」と「オン・キャンプ/オフ・ベース」(8.10~8.19)と、インターネット上での「TOKYO・アート・ゾーン」の3つのイベントが同時進行していたのだけど、それは現地に行くと、よくわからなかった。
天井が高すぎるほど高い会場は、自分の垂れ流しだでは、という作品もあったし、それは、まだ自分自身が作品やアートへの理解が足りないせいで、そんな風にしか思えないのかもしれない。
それでも、退屈はしなかったし、会田誠が、その場で似顔絵を描いていたり、小沢剛がいろいろな人に緊急時に持って逃げるものをきいている作品や、誰のか分からないけれどゴミが風で回っている光景は覚えている。
でも、何しろ会場は広かったし、今だに、たぶんバブルの頃の余韻が微かにあって、パワーはあっただろうし、世界各国から作品が来ていて「ああ、こんなにアーティストと呼ばれる人達がいるんだ」という実感みたいなものも感じられた。ただ、時間がたつと、全体の印象は雑然とした夕暮れになっている。
企画が立てられた時点では、本当にバブルの頃だったのかもしれない。それに、自分が無知なだけなのかもしれないが、そのあとに、この「アトピック・サイト」の流れを組むような展覧会やイベントが行われた記憶もない。
リーフレットの冒頭には、このような言葉がある。
『20世紀が終わろうとしている現在、わたしたちにとっての近代都市とはいったい、どのような装置であったのかという問いかけをしていみる必要がある。と同時に現在の年を再び編集し直し、未来に向かってリデザイン、リコンストラクトしていくためのプログラムを構想してみる必要がある。
「都市における芸術」―20世紀の芸術は都市を背景にしていたといっていいのだろうがーという展覧会を開催することに意味があるとすれば、上に述べたように、わたしたちの過去の都市装置を再開発することと、現在をいかに構想することができるかという問いを投げかけることにあるといえるだろう』
この言葉の最後は、こうした言葉で締めくくられている。
『ここに提案する企画では、近代のプロジェクトの結果としてある現在の都市(すでに述べてきたようにそこには無数の問題が存在する)の中にあって、その問題を明確に浮上させると同時に、都市を絶望的なものと捉えるのはなく、いかに「希望の都市」を発見するかが問われる。そのことは、現在をいかに構想することができるかという問いを投げかけるものとなるだろう。
チーフ・キュレーター 柏木博』
(1996年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。