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1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

あざみ野カレッジ 「現代美術探究ラボ」 Vol.5 美術とコレクション 。2019.1.19。横浜市民ギャラリーあざみ野。

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あざみ野カレッジ 「現代美術探究ラボ」 Vol.5 美術とコレクション 。2019.1.19。横浜市民ギャラリーあざみ野。

 

2019年1月19日。

 義母が亡くなって、あまり外出する気もなかったものの、わりと以前から申し込んでいて、さらには妻と一緒に出かけられる場所と時間帯だったので、出かけることにしたが、義母がいなくなったので、帰る時間を気にしなくてよくはなった。

 

 天野太郎氏。横浜市民ギャラリーあざみ野主席学芸員。確か、桜木町に古い鉄筋のホールの時も、確かこの人が企画した展覧会を見たような、あいまいな記憶はあるが、何しろ昔からこの世界にいる人なんだろうな、とは思うが、こうした企画を立ててもらい、さらには横浜市民のみでなく、誰でも参加できるというのは、とてもありがたかった。

 

 コレクションやコレクターというのは縁遠いのだけど、そして、富裕層のための言葉だとも思っているものの、そういう人がいなければ見られなかった作品も多いのは間違いないし、そうしたテーマでの話も聞きたいと思っていた。

 

 ほぼ時間通りに始まる。40人くらいがほぼ満席。1人500円を払って、それでも来る人がこれだけいるのはすごいとも思っていて、そして、最初に、ここ5年から10年で状況が変ってきた、という話題から始まる。

 

 欧州でも美術館の予算が少なくなって来たので、今は、個人頼みにかわって来てる。ここで、クシシトフポミアンという人の「コレクション」という本からの引用で、コレクションの定義を紹介し、その中に、“経済活動の流通の回路の外に一時的、もしくは永遠に保たれ”という言葉があるのを、そこで初めて知って、コレクションと言うのは、例えば美術館が購入すると、そこで“回路の外”に置かれることになるというのを、そういう意味があるのだと思ったのだけど、本来は、そのためにコレクションするのを、初めて知る。

 

 さらに、いろいろな話題が出る。

 国立新美術館は、コレクションを持たない。だから、本当なら美術館とはいえない。だけど美術館という名前がついているが、英名には、art center と表示されていて、私は見ているはずなのに、初めて知って、そういうごまかしをしていることに、ちょっと嫌な気持ちになる。

 

 また、たとえば美術館などの、コレクションを運営のために販売をするのは禁じられていて、歴史的な文脈で見て、ダブっているものとか、そういった作品を売ったりする以外はダメで、もしも経営のことで売ったりすると、世界中の美術館から関係を絶たれる、といったことがあるという話も初めて聞いた。

 

 絵画には、元々タイトルはなかった。ちょっと考えたら、王族などが注文をして、自宅に飾るのだから、タイトルはいらないし、といったこと。

 

 また、たとえばそこらへんのお金持ちが、自分の持っている絵画を美術館に寄贈しようとしても、受け取ってくれない。一度は、貴族みたいな人に絵を買ってもらわないと、美術館は受け取らない、という話。

 

 最初は、17世紀にヨーロッパの国々が地球のあちこちに行くようになって、そこから世界のすべてを知りたい、コントロールしたい、という気持ちに現れとして、コレクションが出来てきた。

 

 今はタグチコレクションというのが注目されるのだけど、そのコレクションをしている人は、現代アートは新しいことをしている。それはビジネスの先を行っているのだから、ビジネスマンも見るべき、という話題。

 

 バスキアを購入した経営者。美術業界の中では、高額過ぎるのでは、ということだったが、そのことで、バスキアの市場価格がかなり上がって、結果的には、そんなに高額にならなかった、という話。

 

 話し手の感情を横に置いて、という冷静な話し方だったので、質問をしようという気持ちがわきにくかったが、聴衆からは質問も多く、美術に詳しい人が多かった。貴重な時間で、ありがたかったし、「学生」登録もして、その学生証もかっこいいものだった。

 

 

(2019年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

artazamino.jp