1997年7月19日。
美術の時間は、学校ではただの苦痛だったけれど、教科書のジャスパージョーンズのブロンズのビール缶は憶えていた。ムンクの叫びと、似ているのかもしれない。そういえば、高校の美術の教師が、高校の冊子を出す時に表紙に使うイラストみたいなものを描き、その時にその紙はツルツルのものでなければダメみたいな指示を出したらしいが、それはホントにそうだと思った記憶はある。
ジャスパー・ジョーンズの星条旗。エンコースティックという技法で、表面が光っている。どこか輝く画面。灰色の数字が並ぶ画面。標的。そぎ落とし、これしか描かないぞ。そういう意志までが見えるような作品は、確かにかっこいい。思いきりや覚悟も含めて、カッコよく見えるのだろうか。
でも、晩年になって、アーティストとして30年が過ぎて、自分史みたいなものを作品に取り込むようになり、勝手な話だが、ゆるみを感じた。やっぱり、禁欲的であり続けるのは、難しいのだろうか⋯⋯。
デュシャンは、作品を作るのもやめたというのは凄い。(その裏で密かに死後に作品が公開されたが)でもそういう先例があれば、それをマネするのも出来ないし、いろいろなことは全部やりつくされているな、から、優れているほど、そこから始めているんだろうな。もしくは、そういうのを一切無視するか⋯。
そういえば、この時は木場の駅から、送迎のバスが出ていた。ジョーンズの標的がデザインされた⋯バス。それから、そういうバスが出たのを、少なくとも行った時に見たことはない。
(1997年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。