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1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

アートのレシピ 第8期修了展「平成気分」。2018.5.3~5.5。美学校。

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アートのレシピ 第8期修了展「平成気分」。2018.5.3~5.5。美学校

 

2018年5月5日。

 ツイッターで、この修了展の情報を見つける。去年も見に行っていた。屋上に、自分の部屋のものを全て並べていた作品を思い出す。その時は、天候に恵まれていて、その作家が泊まり込みでそこにいた、という話をわりと淡々と、でも、若い時にしか出来ない作品で、いったんは考えて、でも面倒くさくてやらないタイプのものだったから、清々しい気持ちになったのを覚えている。そして、その学校という場所が何だかなつかしく、何かを作ることだけを考える時間は楽しいのだろうな、とうらやましい気持ちになったことも、同時に覚えていた。それに加えて、講評会を公開する、というのも知り、それは講師である松蔭浩之と三田村光土里の二人に、会田誠をゲストとして呼んで、行うという豪華なメンツで、しかも無料と知り、メールで一般参加も可能かどうかを聞いて、返信ももらって、ちょっと気持ちがあがった。

 

 講評会が午後6時だから、40分くらい前に着きたいと思って、神保町の駅を降りたら、お祭りをやっていて、そのみこしを見ながら歩いて、去年も来たのに、少し不安で、ビルにやっと「美学校」という文字を見つけて、ホッとした。

 

 階段にはハガキがはられていて、3階が見えて来たら、缶ビールを持った人たちが、入り口をほぼふさいでいたので、一瞬入るのをやめようかと思ったが、道をあけてくれて、名前をどうぞ、と言われた。芳名帳の隣が会田誠だったので、なんだかおそれおおかった。資料をもらって、会場に入った。こじんまりと、部屋を使っていて、作品は、ふわっと見ると、なんだかよく分からないような感じだった。

 

 はっきりと分かったのは、ビデオ作品だった。

 若者が、韓国語で、ヘイトスピーチをしている。ちょっと歌う。キャプションを読んだら、作家は上條信志。本人が韓国と日本のハーフで、それを元にして、作品を作っている。それも、差別がある一方で、韓流スターのブームもあって、ということの両方で、だから、画面の中では韓流スターの形で話をし、歌もうたっている、といったことらしい。

 

 おそらくは関係者ばかりの空間のように感じた。そばで会田誠が作家の説明を受けながら、作品を見ていて、その集中力と誠実さがすごいなとも思ったけれど、この時間も作り手としての力を蓄える時間ということにもなっているのだろうなと思い、スキンヘッドの男性が赤ん坊を抱いている、と思ったら、松蔭浩之だった。

 

 午後5時40分を過ぎる頃、展示室の作品が壁際に寄せられて、イスを並べ始められ、30個くらいは並べられ、けっこういる人が座り始めたので、自分もなるべく後ろの方に座る。おそらくは、ほとんどが美術関係者だったり、OBだったりするのだろうから、居心地が悪いというより、ただの観客は自分一人ではないか、と思ったりもしながら、公開講評会が始まる。

 

 

 大桃耕太郎。分かったのは、ウィキペディアの書き換えで、自分が有名人と関係あるかのような情報を書いてある作品。《あやかりペディア》。本人は筑波大学の院生で、それも落合陽一の研究所らしい。松蔭や会田は、分からない、といった言い方も多くなって、それでも、作品を7つも出しているし、面白いけど、そつがない、という言い方もしていた。

 

 さらには、オーソドックスな絵画といっていい作品を出していて、それは、違和感としてとらえられている感じを評価されていたのが、長雪恵(おさ、さんと呼ぶらしい)という、今回では唯一の女性。一番年上らしく、平成生まれではない、といった言い方をしていたが、他の場所でも評価されてるらしかった。

 

 さらには、ビデオ作品の上條のことに及ぶ。松蔭は、こうした自分の出自のことを作品にするのは、きれいごとかも、という前置きをしながらも、アートの世界では、そうしたことは関係ないし、みたいなことを語り、面白いと思ったものを、美しく形にして、人の心を動かしたい、といったことを何度か繰り返した。会田誠は、この人種のことはアートでは、これからも主流になるかも、ただ、説明をしたり引き受けたり、といった本人の覚悟はいるかも、といった話をして、この違いで、松蔭はすごく純粋なのかも、と思ったが、作家の上條はまだ20歳くらいで、東京芸大に3度目で受かったから、予備校としても使われた、といった言い方もしていた。

 

 次は、田上杜夫、という作家。作品よりも、本人がしゃべり始めたほうが面白いと思えたら、実は、ひきこもりの状態から、ここまで来て、それでも、そのこととはあまり関係なく、会田から、クズキャラは必要だから、という話になっていて、本人もまんざらでもなく、その作風も含めて、評価していた。ただ、作品に手抜きをして成立させたデュシャンという人がいて、でも、彼はものすごく頭がよかったから、そうでないとしたら、何かしらの形式を持ったほうがいいのでは、と会田は語る。蛭子さんのマンガ、のように。甘やかしてつぶす、という言い方もしていたが、それは照れ隠しのようにも聞こえた。

 

 そして、松蔭も、三田村も、その語りがすごく熱心で、これだけ本気で教えられている生徒はうらやましい気持ちにもなったし、こういう場所を持っていることは、恵まれていると思った。

 

 結城海月。みづき、という名前。クールな作品。ただ、何をしたいのか、よく分からなかった。ただ、そのことも含めて丁寧に3人が伝えていて、それは、すごくいい光景だった。

 講評会は、当初の1時間の予定が2時間半になっていた。

 終わって、すぐに階段を下りたら、他に誰も降りてこなかったから、本当に他は全員、関係者だったのかもしれない。

 帰りは、牛丼屋で食事をして、地下鉄に乗ったら、同じTシャツを着た人たちが大勢いた。安室奈美恵のライブが東京ドームであったのを、あとで知った。

 

(2018年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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