2002年3月31日。
何だか疲れて、起きたのが午後12時を過ぎていた。でも、急に行こうと思ったのはやっぱり押し付けがましいかもしれないが、妻がクレーを好きだったからだし、これからクレーの作品ばかりを集めるような機会はないのでは、とも思ったからだった。最終日。混んでるかもしれない。
結構、あわてて支度して、午後1時過ぎには出発する。
乗りついで行くうちに遠足気分になり、電車の中でおにぎりを食べたりして、気分もよくなる。わりと早く、2時30分頃には着いた。
混んでいる。
宇宙人みたいな格好の人とか、芸術家っぽい感じの人とか、他人事ではないのだけど、もう後戻りが死ぬまで出来ない人達も結構来ていたりして、おかしみも感じたけれど、自分を振り返って悲しくなったりもしたりした。
絵はよかった。
どうしてこういう色が出るんだろう?
どうして、こういう線が描けるんだろう?
見て、少しぼーっとした後に、そんな気持ちになってくる。
かすれたピンクの中に、建物の絵がごしょごしょっとした線で描かれていて、そういう位置とか大きさとかが、とてもいいとしか言えない。
旅に出て、そしてスケッチしたものを見ると、かなり正確な形として立体として描いてあって、ただ実際に絵として作品にしていく時は、まるでそういった形を無視するように崩して描いていく。それも、奇をてらうというのではなく、その方が自然にいい、と思える方向への絵になっている。
線の強さも、太くなっても柔らかく、でも売店で図録を見ると、やっぱりその感じが出ていない。ただ、中に矢印がくっきりと描いてある絵があって、不思議で、「あの矢印が⋯」とちらっとしゃべっただけで、店員が素早く反応して、それには感心するよりも少し怖かった。
その時もポスターか何かがあったが、天使の絵は、ただ線だけなのに、どうして、こういう味が出せるんだろう?というのを思い出し、でも、確か、そういう絵を描いた頃はクレーは、確か病気もあったし、いろいろな意味で追い込まれていたということをテレビなどで知ったりして、自分のためにも描いたのだろうか、と勝手に思ったりもしていた。
展覧会は、わりと年代順に並んでいたが、クレーでも最初の頃の作品はセザンヌっぽかったり、印象派のようだったり、それから、おおと思ったりするような絵になるのは、20年くらい後だったようだ。
観客の中には、「これはクレーらしくない」と言ったり、「子供の線と同じでためらいがないのよ」と言う若いお母さんらしき人もいたりして、そういう反応もおもしろかった。それでもクレーの絵はよかった。あの色使い。あの線。
美術館の中の喫茶店でお茶を飲んだ。ピカピカ光るサングラスをした市民ランナーにいそうな中年女性が、ずっとバルコニーのいい席を独占していたり、その店が変に古臭く見えたり、といったこともあったが、かなり気持ちも、天気が良ければいいと思える場所だった。
帰りに小町通りのいろいろな店を見て回った。妻は大喜びだった。雑誌「ブルータス」のカフェ特集に載っていたカフェも発見し、やはりカッコ良くて、また来た時は入りたいとも思った。
最終日に慌てて行ったが、行って良かった。
いい天気だった。
(2002年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。