2007年12月13日。
インターネットの応募で券があたった。
以前、妻がテレビで見たら、秋に行列が出来ている展覧会があって、その中でも目立って混んでいるのが、この展覧会とフェルメールのだというのを知ったらしい。
フェルメールは先週に行けた。
義母のカゼもやっと治ったおかげだった。とはいっても、またぶりかえしたりしたら、また今日も中止になるところだったけど、義母も無事にデイサービスに行けたし、だから出かけられた。雨もようだけど、かえって、少しは空いていていいのでは?と思えた。
雨ぎみの上野に着いて、少し歩いて、着いた。
古い建物で、美術館のイメージは、長く、こんな感じだったのを思い出させる。微妙に暗さがある。
印象派と、その影響を受けた絵が並んでいた。
セザンヌの絵って、やっぱり変だ、と思った。家など立体の描き方に、妙な主張があるのが見ていても伝わってくるような気がして、それが、実は変なエッジがきいている気がして、だから、セザンヌ風の絵は、みんなただの地味な絵になってしまうんだろうけど、この主張みたいなものが絵に宿るって、やっぱり凄いのだろうな、と思い、これがマネしにくいんだろうな、と改めて思う。
ルノアールは、やっぱりエロチックだし、晩年の傑作と言われるのは、でも、どうもピンとこなかったのは、根気みたいなものが少しなくなっていたのか、それとも肉体を豊満に描くのが「ルノアール風」みたいな事を自分でも意識しすぎて、ただの肥満に近くなってしまったせいか、と勝手なことを考えた。自分の好みによって、可愛さに差があるようにも思える。
ルソーは、なんだか丁寧だし、ピカソはやっぱり、他のキュビズム風と違って、形ってなんだろう?みたいな訳の分からないテーマを手放していない感じがやっぱりして、こうやって、まとめる、という無難から遠ざかれるから、やっぱりスゴいのかもしれない、などと、また勝手なことを思い、さらには、ブラックの方が品はいい、と思った。
昔の、ただの地味な絵にしか見えないアメリカオリジナルの絵もあったようだけど、そういう中でヨーロッパの作品を必死になって集めたんだろうな、という感じはした。
妻に、好きな画家と改めて聞いて、またそれを聞くの?と微妙に嫌がられ、でも答えてくれたのが、クレー、モディリアーニ、マチス、だった。
それが全部、並んでいる部屋まであった。
マチスの青いドレスの女という絵は、背景の赤がけっこうきっちりと塗ってあって、主役の青いドレスの青が、適当なタッチに見え、でも、それが少し離れて見ると魅力的にうつり、こういうところがすごいと思い、いいなと、素直に思える良さがある。抜けた感、というか…。
クレーの画面は深かった。色を重ねてあるとか、削り出しているとか、そういう技術的なことももちろんあるだろうけど、この深みが、どこかしぶとさと結びついていて、それで、なんか奥深い華やかさみたいなものがあって、見ていて、いいな、と思える。
オキーフの絵も、ある意味では軽みがあったし、ミルトン・エイブリーという自分が知らなかった画家の絵は、その後のポップアートの絵の感じにも似ていたし、どこか人工的な印象を残すのは、わざとではなく、アメリカの伝統が、すでにあったのかもしれない、などと思うくらいだった。
そうした中でシャガールの絵があった。 赤が不思議な赤だった。強い赤のはずなのに、ちょっと遠い感じがする。そして、どうしてここが?という場所が妙に細かく描写してあったりする。でも、そうした一つ一つが、とても魅力的で、ここでしか見れない、みたいな事を思う。クレーが好きな妻が、こういう天然のスゴさがあるよねー、と感心していた。
フィラデルフィアは、アメリカへ初めて出張にいった時に最初に行った町だった。その空港からクルマに乗ってハーシーという街に行ったのだった。あの時はまったく興味がなかったのだけど、デュシャンルームというのが、フィラデルフィア美術館にはあるはずだった。今回も、デュシャンの絵が2点ほどあって、それはキュビズム風であったけど、妙なゆらぎと主張があった変な絵に見えた。これは、以前、横浜美術館で見たかもしれないが、でも、よかった。
この美術館を紹介するビデオも流れていたけど、デュシャンのことには触れず、出ていたのは「ロッキー」の事だった。スタローンが走った階段が、ここのはずだった。今では、ロッキーという足形が、この美術館の階段の上にあるらしい。そういうところはアメリカだったけど、それにまつわる作品があってもいいのに、とも思った。
いろいろ見られた。
思ったよりも、面白かった。
個人的にはシャガールがよかった。
帰りに「一蘭」でラーメンを食べた。
おいしかった。
(2007年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。