アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「わたしいまめまいしたわ 現代美術における自己と他者」。2008.1.18~3.9。東京国立近代美術館。

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「わたしいまめまいしたわ 現代美術における自己と他者」。2008.1.18~3.9。東京国立近代美術館

 

2008年3月1日。

 

 何か目をひくような豪華な材料はないのに、冷蔵庫のありもので、出来てみたら、想像以上においしく、そして、見た目も何が優れているか分からないのに、人の気持ちを盛り上がらせてくれて、食べる前も食べたあとにまで豊かな印象が残る。時々、この美術館は、そうした企画をしているような気がする。それは10年前に、プロジェクト・フォー・サバイバル。を見て、キュレーションというものの大事さを分からせてくれて以来、勝手に恩にきているだけかもしれない。

 

 今回も、ほとんどが、ここに所蔵してある作品を展示しているはずなのに、新鮮で面白かった。

 チラシも「わたしいまめまいしたわ」という言葉が、目の形になっているのがメインになっていて、(これ、上から読んでも下から読んでも、の回文、というものだけど)興味をわかせる工夫をしている。サブタイトルが、「現代美術における自己と他者」で、本来は、これがメインタイトルにするような展覧会が多いけど、でもそれだと人は来ないだろう、と思う。チラシの表には、澤田知子の作品。ID400。駅などにある証明用の写真で、400通りの人間になって、とはいっても、確かに、こんなに変わるなんてと思うけど、でも澤田という人だとは分かるような変装。でも、やっぱり、凄いな、と思う。

 

 明日は無料の日らしいけど、今日しか行けない。

 入場料420円は、ありがたい。

 中に入ると、人がけっこういて、意外だった。いつも、もっとガラガラガラ、の印象があるので。

 自画像がある。澤田の作品が並ぶ。ゲオルグ・バゼリッツの逆さまになった自画像がある。

 谷中安規の自画像。版画(?)なのだろうけど、不思議と緊張感の抜けているなイメージもあって、台所で上を向いて口あけて、みたいな姿。いいなー、と思う。

 

 それぞれの部屋というか区切りにテーマがあって、何かしらの説明がされている。これはある意味、効果的でもあるけれど、よく読むと、何だか難解なだけ、という見方も出来る。自分。自分自身。あまりにも、そればかりだと、たぶん、おかしくなってしまう。自分自身は、見ることが出来ないし。

 

 この七つの文字。

 高松次郎。うまい事言ってるけど、でも、もう古いような気もするが、それは、時間がたっているからで、問題はその時代に制作されて、今も残っていることだと思う。

 岡崎乾二郎。題名がやたらと長くて、でも、思わせぶりとは微妙に違うものもあるけど、その作品は、いろんな色がきれいだな、と思える抽象画といっていい作品。2002年に制作され、でも、その年代に、どうしてこういうものが?というのを聞いたら、いろいろ答えてくれそうで、でも、半分くらいは分からないだろうな、と思え、だけど、意外と分かりやすい事を言ってくれるような気がするのが、不思議な印象につながっているのかもしれない。それでも美術に厳しくて、ものすごく頭がいい人という印象も変わらない。

 草間彌生。インスタントラーメンの作る前の麺のような造形で、赤、その間に黒、そのすき間に緑の小さな点。横5メートル以上はありそうな大きな画面に、それが全部びっしりとあって、見ていると、確かに微妙なめまいが起きそうになる、と思える。他にも冥界への道標という作品があって、迫力がずっと保存されているような作品だった。

 ビル・ヴィオラの映像作品。止まっているようにしか見えないくらいの物凄くゆっくりと動いている映像。悲しんでいる5人、という説明があったけど、悲しみ方が演技に見えてしまうのは、このスピードのせいで、おそらくは適切な速度がある、といったことまで考えさせてくれる。

 フランシス・ベーコンは、きれいだった。この人の作品がたくさん並んでいるのはやっぱり見たい、と思う。そばにある舟越桂の彫刻。この2人の作家が、全体にまで、重みといっていいものを加えていた。

 そして、この美術館で初めて見て、写真を撮っている人の後ろ姿が確かに見えたと思った牛腸茂雄。セルフ アンド アザーズ。前見た時のように、後ろ姿がはっきり浮かぶという事はなかったけど、やっぱり写っている人の視線の不思議さは、不思議だと改めて思うけど、説明しきれる感じもしない。でも、今回思ったのは、撮影する牛腸氏への好奇のまなざし、というものが混じっているせいで、不思議なものになっていて、それを牛腸氏は分かっていて、たぶん他では見ることが出来ない種類の視線で、だから、やっぱりこれは撮影する人の事を抜きにして考えられなくて、写した空間みたいなものまで感じさせてくれるようなものになっている。貴重というより、もう誰も撮れない種類の写真ではないか、と思う。

 キムスージャ。針の女。いろんな場所で後ろ向きの女性が人ごみの中に、ただ立っている。だから、その周りの人の反応が、様々なのが分かる。4カ所で撮影してきて、それが部屋の四方のスクリーンに写っていて、すごく効果的で、面白かった。ラゴス(たぶんアフリカ?)の人達はにこやかに好奇心むきだしで、カイロの方は何だか不穏な感じだったり、ロンドンは、ほとんどいないかのように人が行き交っていて、その違いが面白かった。

 そして、高嶺格の作品。ゴッド ブレス アメリカ。

 2トンの粘土を使って、顔を作ったり、いろいろと変化をさせて、それにアメリカの国家がかぶさる。作者とそのパートナーが、その場所で制作し、生活し、その姿が物凄く高速で一瞬で移り変わっていく。たぶん、1ヶ月とかそのくらいだと思うけど。この粘土の姿が変わっていくのだけでも、十分に作品として成り立っていたと思うけど、傍らで生活をしつつ、という映像がなければ、あれだけ興味を持ってみれただろうか?と思う。それも、人の生活ののぞきのようなものの魅力というか、目が離せない、みたいな上品ではない好奇心みたいなところまで作者は知っているというか、そういうところが凄いというか、みたいな事を思って、やっぱりしぶとい感じが凄くした。この人の作品をまとめて、全部見たい、という気持ちにさせるけど、確か、山の中の洞窟みたいなところで見るしかない、といった作品もあるけど、でも、見たい、と思わせた。この魅力は、なんだろう?テーマが遠いはずなのに、自分に関係ない、と思えない吸引力みたいなものがある。

 常設展も見て、全部で2時間と少し。ゆっくりと見た。食事は、併設のレストランで食べた。とても、ゆったり出来た。行ってよかった。

 

 

(2008年の記録です。多少の加筆・修正をしています)

 

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