2004年12月4日。
六本木ヒルズの美術館で、小沢剛が展覧会をやるなんて意外だった。だけど、そういえば、日本っぽいかもしれないし、そのあたりの方が逆に分かりやすいのかもしれない、などと屈折したことを考えたりもしていて、何しろ、行きたい、と夏頃から思っていた。夏から始まって12月の末までやるから、いつ行ってもいい、などとも思っていた。
それが、突然、家族の病気によって、10月くらいから外出など全く出来ないような状況になり、ホントに気がつけば12月。ということになっていた。だけど、それでも、12月に家族の検査を控えて、行きたいと思っていた。もし、検査の結果が悪ければ、もうホントに外出どころではないからだ。だから、小沢剛展が終る前日に行けた。これから起ることに凄く気がかりだった。それまでの時間というものが何だか物凄く重労働に思え、一度は発作を起こした自分の心臓がそれに耐えられるかどうか、また凄く不安になるのだった。
入口のところ、写楽ワークといわれる作品で、自分の大事な人の似顔絵を描いてください。というのがあって、実は妻を描こうと楽しみにしていたのだが、そこはすでにその日の分の紙がなくなって、もう終っていた。秘かにがっかりしていた。
それから、牛乳箱をベースにした「なすび画廊」があちこちに延々と壁にかけられていた。小さな「なすび画廊」という本まで買っていたのに、実物をキチンと見るのは初めてかもしれない。だけど、これは実物を見るというよりは、そういうことをやったこと。銀座の有名な貸画廊の前の、確か並木にこれをかけたりした、という事実を知った時が一番、わくわくした気がする。だけど、凄くたくさんあった。こうやって、まとめて見ていると、そんなに詳しく知っているわけでもないのだけど、西洋のアートとは違う湿気みたいなことを思ったりもするのだった。新鮮だった。
何か秘密基地というか、豆本というか、どちらかと言えば、微妙に貧乏臭いが、だけど、それは飢えまでいくようなものではなく、一応、食うに困るまではいかなくなったが、だけど、そこに漂う貧乏臭さがやっぱりある。その感じが絶妙だった。
それはジゾーイングを照らす蛍光灯の薄暗さと同じだが、今回の蛍光灯は目黒美術館で感じたほどのリアルさはなかった。だけど、その写真を見て、相変わらず、またジゾーを探し、この作品好きだとまた思えた。そこの展示には、東京都現代美術館で見た時と似たように、布団がたくさん積み上げてあった。だけど、それは東京都現代美術館の時とくらべると、ばらばら感や、湿った感が足りなくて、やっぱり六本木ヒルズとも思ったが、そこに出来た布団の山の下り坂を子供達がホントに嬉しそうに転げ落ちるのを見て、何だか感心した。雑誌で、美術評論家みたいな人がショックだと言っていたのが分る気もした。子供に必要な豊かさ。みたいなことかもしれない。
そして、トンチキハウスは、夜景を見ながら、ゆっくりしようとしていたのに、イベントをやっていて、人でいっぱいだった。小沢剛本人もいたし、何かしらのパフォーマンスもやっていたようだった。
醤油画は、真面目な顔をして「醤油って(匂いが)結構残るのね」と言っている中年女性がいたりして、ちっちゃくオオと思ったりもしたのだが、ベジタブルウェポンは正直、頭で作り過ぎる感じもしたし、岡本一太郎シリーズは、いろんなことも出来て、面白そうかもなどとも思ったが、やっぱり、個人的には、ジゾーイングとなすび画廊が、一番(順位をつけるのは変だとしても)だと思ったりもした。
いろいろと頭の中の心配ごとが時々、前面に出てきたりもしたが、でも、楽しかった。
(2004年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。