アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

ふくしまの声を聞く ~ぼくの見た福島2018~ 写真展とお話 赤城修司。2019.1.26。東京YWCA。

2019年1月26日。 

 誰かのツイッターで見て、このイベントを知った。3年前に、この人の個展とトークショーを20名ほどの聴衆の中で聞いた。この赤城さんにとっては、たまたま住んでいた街が放射性物質に汚染されて、というところから始まったのだけど、そこに住み続けながら、写真を撮り続けて、記録を続けている。

 

 それは、直接の事故現場ではないものの、街の中で、恐らく意図的に、あまり目立たないような除染作業などの風景を撮影して行って、歴史を記録している貴い作業だと思ったのを覚えている。

 

 あれから、また時間がたって、どうなっているのだろうか。東京という遠い場所に住んで、普段は考えないというか、もしかしたら目に見えない恐さみたいなものは、無意識の中で忘れようとしているのだろうけど、福島に住んでいる人にとっては、嫌でも目に入ってくるものもあるのだろうと思ったりもしている。

 

 同時に、こんなことを思うのは、ぼんやりしすぎていて、失礼なのかも、という恐れがあるが、ただ、何しろ自分は何も知らない。知っている人の話を聞く機会があれば、聞きたいと思い、YWCAに電話をして、申し込めた。

 

 当日は、写真展も行われていて、そこに添えられたキャプションが、赤城氏独特というか、そこに住んでいて、でも気がつこうとしなければ気がつけない、もしくは気がついていても、そのことをどこかに伝えようとすると、いろいろな声も向けられてきた中で続けてきた人で、ただ、その自然(自然を維持するのが大変なのだろうけど)な視線が伝わってくるような文章だった。

 

 話が始まる。40人くらい。たぶん真面目な人たちばかりで、自分がかなり年齢を重ねたのに、この中では若いのではないか、というような集まりの中で、話が始まる。

 最初から、自分が知らない話だった。というよりも、普段はもう無関心だったんだ、と気がつかせてくれるようなことだった。

 

 去年の写真。学校のグランド。そこから除染された土を掘り出して、それを中間処理施設に移動する段階になっていて、だから、小中高の福島市内のグランドに、こうした土が7年間うまり続けていて、それを掘り出したのが7年後、ということだった。科学的にはその放射線量は安全、と言われるようなことなのだろうけど、これから成長したり、大人になるような年代の人間のいるところ、それも土の上に直接座ったり、滑ったり、さわったり、といった状況のところにずっとうまっていた事を思うと、やっぱりざわざわとはする。

 

 そのあと、写真は変わり、話題も変わり、そこで葛藤があるという話にもなる。…今は、避難地域を小さくして、そこ以外に人が住むようになって、それを復興というのか。それとも、避難地域を広くして、みんなが避難するのがいいのか、どちらがいいのか、今も分からない。

 そして、福島県内にトラックが走っていて、今、除染された土砂を運んでいるのだけど、そこには小さく「除去土壌」という表示があるだけで、「放射線」とか「放射能」といった言葉は一切ないから、見ただけでは、たぶん分からない。

 

 こうして福島で写真を撮るだけで、それはすぐに利害に結びついたりもする。学校では一切こうした話をしないものの、たとえば学校の生徒の親に農家の人もいる。そうした人にとっては、赤城氏がツイッターをしていることで、福島の農産物の価格が下がる可能性さえでてくる、そういう中で今も撮影を続けている。

 

 そして、2017年に福島でトレイルランの大会があり、その時だけ、「除染作業中」の看板をカバーで隠している。でも、これは悪意があるわけでもなく、ただ、気がついたら、自然に隠す方向になってしまう。

 

 そんな話が続いた。

 

 

 休憩のあと、2011年3月11日直後の混乱の話になった。

 とにかく避難しなくちゃ、と思い続けて、でもできなかった。説明会があって、出かけたら、大学の先生が、安全だ、ということを延々と話をしていた。

 さらには、学校の入学式の延長も、行政の指示みたいなもので決まってしまい、その時、その入学式のために、体育館にいた被災者に出て行ってもらったりもした。説明会では、怒号がとびかった、という。

 

 いろいろなこと、避難に対しても、避難しない人に対して「申し訳ない」ということで、できなかったりが、続いていた。有事に対応する、という根本的な対応がないことがいけないんじゃないか、といった話。いろいろな抑止力が働き、表に出るべきなのに出ないことが多すぎるのではないか、といった話。

 

 最後、今でも逃げるべきだったと思いますか?とある意味で残酷な質問がでたりもしたのだけど、それに対しても、すごく誠実な答えをしてくれていた。

 今、自分は住民票を福島市においている。そういう事実が何よりも大きくて、これは、どんな事故が起こっても、何があっても、逃げない前例を作ってしまった、ということを、後悔しているという言葉とともに話をしてくれた。

 

 すごく貴重でかえがたい行為を続けている方だというのは、改めて分かった機会になった。

 

 

(2019年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

www.tokyo.ywca.or.jp