アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

Don’t Follow the Wind —— Non-Visitor Center。2015.9.19~11.3。ワタリウム美術館。

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Don’t Follow the Wind —— Non-Visitor Center。2015.9.19~11.3。ワタリウム美術館

2015年10月29日。

 

 最初にこの展覧会のことを聞いたのはゲンロンカフェだった。東浩紀椹木野衣の対談の中で、現在、福島県原発事故によって「帰還困難地域内」になっている場所に展示をする、という話だった。それは、企画としては興味深く、その福島での事故を忘れない、という意味でも意義はあるもののように思えた。

 

 帰還(ずっと帰宅だと思っていたが)困難地域、の中で展示をする。そして、それは立ち入りの制限がなくなるまでは「見られない」展覧会でもあって、そのコンセプトに同意した日本だけでない海外のアーティストも参加している。人の気持ちに訴えかけられて、支持されやすい、と直観でも分る。非難もされにくそうだ。東は、福島第一原発観光化計画を表明し、その本を出して、炎上した。似ているようで、その違いは何だろう。

 

 観光化計画は、広く訴えることになる。もしも実現すれば、アートに興味がなくても、人は来るだろう。ただ、非難はずっとあるはずで、だけど、チェルノブイリに何度か行き、いろいろな人と会って話して、その上での判断のはずで、それは、どれだけの災害でも、人はウソのように「忘れてしまう」ということで、その「忘れてしまう」事との戦いがあって、それには記録とか書物とかだけではなく、現物がないと人は「忘れてしまう」ということへのおそらくは深い確信の元に計画された事なのだろう。

 

 広島の原爆ドームがもしなかったら、と考えると、保存すること、現物を見せる機会を作る事は、現在、現地にいる人にとって、堪え難いことかもしれず、それを言われると、揺れるのだけど、将来を考えたら必要になるのは間違いなく、広くそれを問うことは勇気もいるが、とても必要なことだと思ったが、思った以上に非難されていたようだった。

 

 一方、椹木野衣の試みは、おそらくは東の観光地化計画よりは、広く知られたわけではなかったと思う。アートの文脈の中にあるから、世間からの非難はされにくい。ただ、その時に感じる「帰還困難地域」は遠く、そして、自分とは別物に感じてしまい、観光地化計画に感じた自分の住む世界との一致した感じとは違うので、福島の事故のこと、そして、そのあとの世界のことを考えたら、観光地化の方が意味が大きいのかもしれないが、このワタリウムの展覧会も、その福島の現地のサテライトとしての展覧会で、全体にシリアスなムードが漂っているものの、自分たちの生活との遠さは感じる。それでも、作品が興味深いし、かっこはいいし(アートには、かっこよさ、みたいな感覚は必要だとも思うが)と思うが、広く知られないような気もする。

 

 9月の末にカオスラウンジの展覧会でいわきに行った。震災以来、初めて東北に行った。うしろめたさはずっとある。カオスラウンジの展覧会は、その地元のものと結び付くようなもので、その土地の下に蓄積している歴史という時間も感じられて、必然性もあり、おもしろかった。その主催者である黒瀬陽平は、このワタリウムの展覧会と比べられて、アート界では、評判で負けたりしていて、と言っていたが、それに対して東浩紀は軽い調子を保ちつつ、カオスラウンジの方を評価していた。

 

 全身全霊であることが、観光地化と、カオスラウンジに共通していると思った。ある意味では無防備というか。歴史に残るのは、そちらの方ではないか、といったことも含めて、ワタリウムの展覧会を見て、改めて考えさせられた。3階は閉鎖され、外からしか見られないような構造にしたり、感心もしたし、カタログも買ったし、エレベーター3階に間違えてボタンを押したら、開いた時に、そこも壁が固められていて、そういうことも含めてよく出来た展示だとも思ったが、身体の中まで入ってくるような感覚になるのは、(大げさな言い方だけど)カオスラウンジの方が、その度合いが高いのではないか、とも思った。実際にいわきにも行って来た。そして、その時に思い出したのはJビレッジの事で、その時に遠くに見えた福島の原発の光景だったりもした。

 

 

(2015年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

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