アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「横浜トリエンナーレ」③。2001.9.2~11.11。パシフィコ横浜。

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横浜トリエンナーレ」③。2001.9.2~11.11。パシフィコ横浜

2001年10月16日。

 

 妻と友人と3人で出かけることになる。

 横浜美術館の中のレストランで食事。電話でもそうだったが、やたらと愛想のいい人が1人いて、その大げさともいえるリアクションにちょっと笑いそうになる。食事はランチ1200円。グラタン。料理も一つずつ出てくるし、ゆっくりと食べることが出来た。

 

 パシフィコ横浜のメイン会場へ。インターコンチネンタルホテルの壁面に、また大きなバッタは出ていない。もしかしたら、始まってから出ていない時の方が多いのではないか、とも思う。台風などが来ると、設置できないらしい。

 

 メイン会場。人が少なくなっていく。祭典という言葉からは遠くなっていく。個人的には少ない方が落ち着いて見れて、嬉しいけれど。

 会場は天井が高く、やっぱり見本市な感じで雑然としていた。

 最初にまっすぐな通路。ここが真ん中を貫く。ここに、フェリックス・ゴンザレス=トレス。あの銀色のキャンディーの作品。1人、1個ずつもらっていく。四角いスペース。ただ、最初に水戸芸術館で見た時の方が美しかったし、彼とパートナーとの合わせた体重分だけ最初にキャンディーを置いてある、といった説明がどこかに合った方が、いいのではないか、とも思った。そういう言葉があった方がいい、というのは、その後もこの会場で何度も感じた。

 

 その通路には折元立身のアートママの作品。原美術館で見て、あの作品だと思う。こういうことがあれば、認知症老人の世話も随分変わる、とも思う。ただ、自分のように圧倒的に多くの人は、ただ地道に面倒を見ていくしかない。最初に感じていた好意は嫉妬に変わっているのだろうか。

 

 2時間以上かけて、それでもその会場の半分くらいしか見れなかった。最初に、次に来た時のために、とパンフレットにチェックすることを始めたら、その手間が結構かかるのと、オリエンテーリングみたいに、どれだけ効率良く全てを回るか、みたいな気持ちの方が強くなってきた。

 圧倒的にすごい。と素直に思えることがなかったのは、多すぎる作品ということもあるかもしれない。

 

 その中で印象に残ったのは,まずはパンフレットの1番。

 アデル・アブデスメッド。ブースにテレビが1台。それも隅の方に置いてある。アデルなんとか。アデルなんとか。と一言しゃべった映像が繰り返し、エンドレスで流れている。「アデルは辞退した」と言っているらしい。いろんな意味で、「現代アート」だと思う。

 

 それから、資金を集めています。それによって作品が作れます。といった説明だけがあるブース。

 シューズをスポーツメーカーに一足だけ注文して作らせた。そういう作家もいた。そういう話を友人としていて、だから何だろう、と自分で思っていた。

 少しこういう作品に、あきた気持ちになっていた。

 

 都築響一の作品は、秘宝館として、せっかく力を入れているはずの人形の女性器のところに布がかぶせてあるのは、作品の意図が違ってきてしまっているのかもしれない。18歳未満入場禁止にしているから、より違和感がある。その日は、全体では人が少なかったのに、そこの人口密度は何だか異様に多かった。

 

 オダマサノリ。ゴミのようなものを集めて、そこに変な熱気みたいなものは出来ているが、でもどうしてこの人の評価が高いのか、自分の理解力では、分からなかった。

 富田俊明。泉の記憶。小学生といっしょに、その土地にまつわる泉の話について絵を、みんなで描いたらしい。

 

 そんな中で、大掛かりな作品は、嫌でもインパクトがあった。

 塩田千春の天井まで届く巨大なドレス。それに泥。それはドイツのような黒い泥を作家は求めたらしいが。(作家の留学先)。泥を延々と水で流し続けている。いろいろな媒体で、その作品を知っていたが、でも下から見上げる時、こういう作品以外では、こういうものを見る機会もないはずだから、思った以上に「おっー」と自然に思っていた。

 ホアン・ヨン・ピン。大きなルアー。知っていても、こういうのは実際に見ると、やっぱりおもしろい

 

 

 シボーン・リデル。

 見えにくい糸が張られているブース。繊細な写真。月をかたどった薄いオブジェ。全体が、妻の好みだと思ったら、やっぱりそうだった。

 

 自分で気にいったのは、マウリツィオ・カテラン。原美術館で見て以来、気になっていた。深刻になり過ぎない感じ。いつもある微かな余裕。もちろん、くせ者には違いないが、どこか笑っていて、それでいて、なるほどと思わせてくれる感じが好きだと思っていた。人の期待をうまく裏切れるのだから、頭もすごくいいのだろうし、実はものすごく計算している部分もあるのだろうが、おもしろいと思ってしまう。今回は、とても小さなエレベーターだった。15センチくらいの大きさのが二つ並んでいる。ボタンをおすとつくし、チン!と鳴って、ドアも開くし、残念ながら本当に動いているわけではないが、階数を表示する番号も変わっていく。見る人は、少し笑っている。会場のすみっこ。それも本物のエレベーターの向かいにあった。

 

 オラファー・エリアソン

 大きな鉄球が天井からぶらさがっている。その下にテープで囲ってある四角いゾーンがある。係の人に文子が聞いてくれた。この鉄の玉は100キロはあるんです。それで、しばらくたったら、それを支えるワイヤーが伸びて、最初よりも下に下がっているのが分かりました。だから、もう一度、最初の位置に戻すことをしたのですが、一応危険防止のために、その真下に入らないように、という目印をしているんです。でも、それも作品だと思ってわざと、その四角の中に入るお客さんもいるんです。そんな話をしてくれた。

 

 ここの、カフェはコーヒーが300円くらいだし、イスも机もカップもカッコよかったし、店員もふつうに感じが良買った。

 この日も、カタログはまだ出来ていなかった。

 3人で行けて、またいつもと違う新鮮なおもしろさがあった。

ただ、本当に見本市で、会場にいる時は、見落としがないか。の方に神経を使ってしまう。それでも、こうしたトリエンナーレ、といった形式に見る側が慣れていないだけかもしれない、とも思う。

 午後5時30分くらいに、会場を出る。

 

 

(2001年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

横浜トリエンナーレ 2001」

https://www.yokohamatriennale.jp/top/archive/2001/