2007年7月26日。
タイトルは「フェイムを勝ちとる。@アート業界!?」。
さらにチラシには、「NYでの『リトルボーイ展』がダイナマイトヒットを飛ばし、世界各地のアートオークションでは、必ず話題をさらう村上隆。自らの名声を自在に操る村上隆が、バリー・マッギー、アメリカ、アートワールドを語る」と文章が続いていた。
トークショーは2000円。高いといえば高いけれど、でも聞いておきたいとは思った。当日は、午後4時半ごろ着いて、最初に入場券をもらったら、「001」の番号だった。バリー・マッギーの展覧会を見た。ショップで伊藤存のTシャツを買おうと秘かに張り切ってきたら、サイズがなかった。2階の会場まで、1階から順番にエレベーターに乗って、少しずつ人が集まってくる。小さなエレベーターだから、けっこう大変だと思うけど、でも、会場として使うと2階の展示スペースも広く思える。100人くらいは入っているだろうか。カン高い笑い声と共に村上隆がやってきた。午後7時10分くらいに、和多利氏があいさつした。8年前、バリーが来て、その時は無名だったけど、村上氏はちゃんと評価して、みたいな事を話している。
村上氏が、スタッフと横に並んで座って、そして、トークショーの事を話し出した。1年半ぶり。
トークショーは大嫌いで、それは、どこかの大学で、バカな質問をうけて、すごく嫌になった。という事だった。
そして、今回は実は主役としてしゃべるのはカイカイキキのスタッフの「綛野(かせの)匠美」というスタッフのようだった。「フェイムを勝ちとる」というテーマだったけど、綛野の氏が10年くらいストリートアートを見てきて、その事を話す、という事だった。
というような事が分かるように、綛野氏が話すと、そこに村上氏が補足し、それからマイクの位置などとひたすら気にし続けていたのは村上氏だけだったように見えた。
そして、スライドと共に、綛野氏の話が始まる。
グラフィティに必要な道具。手袋。手が汚れないように、職務質問をされないようにするため。
アメリカにはグラフィティ用のスプレーがある。
ライター。
と描いている人を指す。
いろいろ有名な人がいるようで、といっても、有名になるって、どういう事なんだろう?みたいな事を思うけど、家の近所にある「ekys」という文字も、あれは暴走族ではなく、グラフィティだと初めて知った。
いろいろな言葉が出てくる。
タグ。
スローアップ。
ボム。
クルー。
無理しても描く。その事によってフェイムを勝ち取る。人が描けないような場所に描いたぞ。というのもその一つ。
バラバラだけど、少しずつなにか分かってくるような気がする。
タグを落とす。という言い方。
自分のマークを描いていく、という事らしい。
ただ、スプレーの型抜きはあっても、コピーは嫌われる、というようなラインもあって、そして、アメリカでは懸賞金のかかるような「ライター」もいるらしい。
スローアップ。
字を描いていく、という事なのだけど、大きく早く描いていく、という事で開発されたやり方らしい。よく見る、ふくらんだような、あの文字。
いろいろやり方があって、そして、初心者はバカにされる、みたいな話になり、この世界も、形があって、それも西洋をお手本にしていて、何描いてもよさそうなのに、けっこ大変なんだ、と思う。
大御所。
という言葉に村上氏がひっかかる。
それは、実績やスキル。そしてマスターピース。(時間をかけて、ちゃんと描いたもの、というような事らしい。それはグラフィティということと、ちょっと矛盾するような感じがしたせいだろうか)。
というような条件があるそうで、ホントに人が集団のようなものを作ると
どうしてほぼ同じような道をたどるんだろう?と、聞き手としては不思議な気持ちになるが、それはもしかしたら、ある意味では安定や存続や評価を求めると、どうしてもとってしまう本能的といっていい方法なのかもしれない、などと思う。
日本には、マネだけではダメだ、というような「和風」のグラフィティの流れがあり、その一方で、「洋風」の流れもあり、それは原点に戻る、という、つまり違法性というところらしいが、そういう流れがあって、明治以来の日本の美術館の話と大筋ではほぼ完全に重なるのではないか?と思う。そうした流れを、綛野氏は注目している、という。スライドは中目黒近辺のものが多いが、それは、綛野氏の住居のそばという事情らしい。
そして、中にはNPOが、マスターピースを描かせて、逆に落書きをなくす、というような動きも出てきている、という。ライターには暗黙の了解があって、うまいヤツの上には描かない、描けない、というルールがあるらしい。
そういうのって、人間の存在の基本みたいなものに関係あるのかも、と思って面白い、と思う。やっぱり、すごいうまい、という力はあるんだ、と思う。
スライドの最後の方で、アメリカのマーク(名前を全部聞き取れませんでした)、という人は、彫刻を「ボム」していく、という映像がすごく面白かった。サランラップで出来たキリン、とか。よくできてる。発砲スチロールの彫刻とか、いいなー、見てみたいと思わせるものがある。
という事で一通り終わって、そのルールの多さを思いながらも、聞き手としては、一気に知識が増えた感じは間違いなくした。
そこから、村上氏と綛野氏との対談、という形になるが、村上氏が聞いて、綛野氏がそれに答える、というような形のようだ。
最初に村上氏が聞いた。
アメリカのハードコアのグラフィティは、やっぱり反社会的な存在でもあるけど、イリーガル、という点はどうなの?
綛野氏が答える。
ルーツはそういうハードコアにあるわけだから、否定しまうと原点を否定してしまう事になる。でも、その原点が首をしめる部分があって、いろいろやって成果を出している。でも、ハードコアはダメとは言えない感じもあって…。
村上氏がうける。
バリーは昔から好きで、でも時代もよかった。サンフランシスコで描いていて、そして、奥さんが子宮ガンで子供を生んで亡くなってしまって、そういうストーリーもある。
だけど、じゃあ、グラフィティを描くやつにとって、バリーになるのがゴールなのか?他に何を目指すべきなのか?となると難しくなる。
イリーガルの方がおもしろい、という事もある。変な心理だけど。
でも、イリーガルを推奨したいの?
綛野氏が答える。
イリーガル……。
迷惑は迷惑。
でも、それでも、その迷惑を乗り越えるくらいクオリティーが高い、みたいなものを残す。
でも、自分のボムで汚す、ということでもあるし。
うーん。
村上氏も、一緒にうなる。
難しいなー。
アートとは何か?くらい難しいなー。
グラフィティーは、今はよくも悪くもエスタブリッシュになっていて、個人的には興味があまりなくなってきて、今後の展開かな。
イリーガルの面白さって、タブーを破る面白さみたいなところだと思う。
アーティストも、最初はエッジがたっていて、面白がられる。でもデビューすると、面白くなくなって、つぶれちゃう人が多くなる。
リアリティーがないと生き残れない。
今回、見ていて、出てきた4人は落ち着いちゃっている。
やっぱり境界線を探すのは大事なのでは、と思う。
キューピーという人。イリーガルの時は素早く描いていて、でも、筋を通すところと逸脱するところ。その境界線は考えているように見える。
そこの境界線を探し出して、鉱脈を見つけた人が、勝ちになるんだろう、と思う。
綛野氏が、微妙につなぐ。
アメリカで、最初にTAKT1187(これ微妙に違うかもしれません。すみません)という人が描き出して、ひたすら描いて、これ誰なの?と新聞に載ったりして、あちこちに描けば有名になれるんだ、ということになって、それからより大きく太く描く、というようになったのが1970年から1980年の頃。
村上氏が、話をつなぎつつ、話題は変わった。
先週、手術をした。その時に入院して思った。
自然が壊滅している。後進国と言われる国は。
先進国と言われるところは、今は自然が蘇ったりしている。
ただ、基本として、害悪としての人間。長生きの意味があるのか?みたいなことを思う。
アート、今はハッピーか?アートは、あと45年生き残れるのか?
100人くらいカイカイキキの社員がいて、長寿どうしよう?という気持ちになる。
宮崎駿が、67歳。
退屈ですよ。人生。
だから、何をやっていくか。
慶応病院に入院して、そこの給食(?)のおばちゃんがいて、クルマ好きの変な人だった。
何を考えて、自分の心の正義に忠実に生きていくのか?
人生の退屈さから、どう逃れるか?
和多利氏が話に少し入る。
和多利氏の母。
75歳。だそうだ。
好奇心を失わないうちは大丈夫、みたいな話をした。
そして、和多利氏はさらに話す。
今回、バリーの展覧会がうわさされた時点で、周りにグラフィティーが増えてきて、その後、だから話をつけて、開催されなくなっちゃうから…おさえてもらって、でも、そしたら、また始まってから増えてきて、展覧会を見にきて、ここは名前を書いてもらうのが、タグネーム書くのか本名書くのか?、みたいな事もありました。
聞き手としては、どこにでも自分が知らない組織というのはあるんだ、と思い、そして、組織って、どんな組織でもルールがけっこうやっぱりあるんだ、と思う。
(2007年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。