アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

『希望の光』。2000.11.17~12.3。佐賀町エキジビット・スペース。

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『希望の光』。2000.11.17~12.3。佐賀町エキジビット・スペース。

 2000年12月3日。

 ほとんど行ったことがない場所。その階下のギャラリーには何度か行った。この食料ビルは、明智小五郎が出てきそうで、今ではないような古いビルだった。このギャラリーが終ってしまう。

 ぎりぎりの状況で、自分のやりたいギャラリーをきちんとやってきた、というのを今頃になって知ると、それを見せられると、改めて自分の中で首をうなだれる。

 そういえば、竹橋で初めて見たアンゼルム・キーファーは、コンクリートのベッドが並び、すごいと思い、それからその名前を知るようになったが、その作品は国内では、ここで初めて展示されたことを知り、時間を遡るように後悔だけがやってきた。奈良美智も見たかったし、ここでもっと見たかった作品があったのを、今になって知る。駅から遠くて、よく分からなかったにしても、でもこの下の小山登美夫ギャラリーでは村上隆の作品を見た時に急に親近感がわいたことを思い出す。このビルに来た時、そのさらに上には何故か行きづらかったし、行った時は、いつもこのギャラリーは閉まっていた。

 

 今回、よかったのは、狭く細くしかも不規則な階段をさらに登ると屋上に出て、そこに溶け込むようにある芝を使った作品。そして木村太陽。この年の最初の頃、東京都現代美術館で見て、ものすごく関心し、その年の最後の方で、また彼の作品を見る。鳩の群れのようなオブジェが床に広がる。そこに鳩の首だけが多くつけられた四角い枠のような箱が滑っていく。最初は、どうしてそうなるか分からなかった。近付くと、床の鳩の首にあたる部分がクルマになっていて、そこを箱が転がっていくのが宙に浮いているように見えるんだと分かる。単純だが、効果的な仕組み。観客が押すと、その箱は、すべっていく。木村太陽本人がいた。普通に淡々としゃべっている。「この箱の縦棒を持って押せば、強く押してもダイジョウブです。横だと強いと引っ掛かるんです」。若い女性がその通りに押してかなり遠くまでいく。少しうらやましい。そばに置いてあるハンマーはこの作品の調整用だそうだ。開いている本人の感じもすごくいい。今はベルリンに住んでいるそうだ。

 

 その後、パンフレットに書いてある作家達へのアンケートみたいなものもあって、経済流通への意識に対して、木村はこう答えていた。「経済流通で問題になるのは、作品のイニシアチブを作家がにぎっているつもりが、そうでなくなってしまうこと。本当におもしろいものと、流通の流れにばんばん乗っているもののあいだには、どうしてもズレがあると思う。でもだからといって無視しつづけることもできないし、ほんと難しい」。

 

 同じ質問に中山ダイスケは、こんな言い方をしていた。「自分の中ではプロセスの一部でしかない作品が、そのつど商品として売れていくことに対してはいつも違和感というか、ちょっとした恐怖心を持っています。でもお金があっての次へのステップなので、なんとかそのあたりに鈍感になるべきなのかもしれません。モノを作って代替に何かを得るという意識。またそれに対する感性や才能は本気で持ってないと思うので、人が作ったものやデザインしたものを出来るだけ買うようにしながら、訓練中です」。中山も、ウソがなく、才能があって、頭がいいと思う作家だ。でも、もっと、このあたりに関してはスマートという印象だった。

 

 

(2000年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

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