2007年12月22日。
義母をショートステイに預けて、出かけた。
妻は、最初は見たがらなかったが、テレビで見て、思ったのと違う、見たい、という事になった。
クリスマスがらみの連休の初日。どこも混んでいるとは思ったが、「叫び」のムンク展は空いていると思っていたが、行ってみると、意外に人がいた。
絵は、塗り方が、ある意味でラフで、でも、今の絵のようだった。今でも伝わり方が古くない感じがしたのだった。
重いうつ病だったという妹さんの絵。こういうところに妹「さん」をつけてしまうのは、かえっておかしいのかもしれないが。
目が、すごかった。
固定されていて、感情が表に出ないのに、気持ちの中ですごくなにかが訴えかけているような目をしていて、でも印象は静か。こういうのは、普通は、やっぱり描けない、と思う。
そして、若くして亡くなったというお姉さんの絵。
どこを見ているのか、ものすごく遠くを見ているような、簡単には言えないような混乱の果てに、とりあえず、今は静かな、というような目をしていた。激しさが、隠れている、じゃなくて、激しさがあったとしても意味がなくなった、というか、やっぱり絶望としか言いようのないなにか、というか。
あこがれの年上の女性、という絵も、普通にあこがれ、というような柔らかさはほとんど感じなかった。でも、いいなあ、と思ったから、そこに分かりにくのかもしれないが、確かにあこがれ、みたいな要素があったのかもしれない。
妻は、思ったよりも、ごよごよしていない、と言っていた。確かに、不思議に澄んだ感じがあった。
大学の壁画として描いた、太陽の絵も、よかった。寒い国の光、というのが伝わってくるようだった。光が圧倒的に降り注ぐというよりは、もっと危ういバランスでやっと地面まで到達して、その光が有り難い、というような感じで、その太陽の光が、キレイだった。
常設展も見た。
その後、喫茶店でケーキセットを食べた。
昔なら、こういうところでコーヒーか何かを飲んで、見てきた絵の話をする事自体が考えられなかった。
隣の席では、小さな女の子ばかりが4人いた。
ムンクの作品は、わたしはこんなに悲しかった。わたしはこんなに不安だ。わたしはこんなに絶望している。ではなく、悲しみそのもの。不安そのもの。絶望そのもの。を伝えようとしているのかもしれない。だから、不思議と澄んだ感じを与えるのかもしれない、などと思っていて、そんな話を妻ともした。
美術館を出ると、その前に大きなポスターがある。
「不安」というタイトル。「叫び」と同じような背景で、その上で何人もものすごく青い顔をして並んでいる絵が、そのメインになっていて、それをバックにVサインをして写真をとっているカップルがいた。なんだか勝てないような気がした。
(2007年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。