アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「ムンク展」。2007.10.6~2008.1.6。国立西洋美術館。

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ムンク展」。2007.10.6~2008.1.6。

国立西洋美術館

2007年12月22日。

 義母をショートステイに預けて、出かけた。

 妻は、最初は見たがらなかったが、テレビで見て、思ったのと違う、見たい、という事になった。

 

 クリスマスがらみの連休の初日。どこも混んでいるとは思ったが、「叫び」ムンク展は空いていると思っていたが、行ってみると、意外に人がいた。

 

 絵は、塗り方が、ある意味でラフで、でも、今の絵のようだった。今でも伝わり方が古くない感じがしたのだった。 

 重いうつ病だったという妹さんの絵。こういうところに妹「さん」をつけてしまうのは、かえっておかしいのかもしれないが。

 目が、すごかった。

 固定されていて、感情が表に出ないのに、気持ちの中ですごくなにかが訴えかけているような目をしていて、でも印象は静か。こういうのは、普通は、やっぱり描けない、と思う。

 

 そして、若くして亡くなったというお姉さんの絵。 

 どこを見ているのか、ものすごく遠くを見ているような、簡単には言えないような混乱の果てに、とりあえず、今は静かな、というような目をしていた。激しさが、隠れている、じゃなくて、激しさがあったとしても意味がなくなった、というか、やっぱり絶望としか言いようのないなにか、というか。

 

 あこがれの年上の女性、という絵も、普通にあこがれ、というような柔らかさはほとんど感じなかった。でも、いいなあ、と思ったから、そこに分かりにくのかもしれないが、確かにあこがれ、みたいな要素があったのかもしれない。

 

 妻は、思ったよりも、ごよごよしていない、と言っていた。確かに、不思議に澄んだ感じがあった。

 

 大学の壁画として描いた、太陽の絵も、よかった。寒い国の光、というのが伝わってくるようだった。光が圧倒的に降り注ぐというよりは、もっと危ういバランスでやっと地面まで到達して、その光が有り難い、というような感じで、その太陽の光が、キレイだった。

 

 常設展も見た。

 その後、喫茶店でケーキセットを食べた。

 昔なら、こういうところでコーヒーか何かを飲んで、見てきた絵の話をする事自体が考えられなかった。

 隣の席では、小さな女の子ばかりが4人いた。

 ムンクの作品は、わたしはこんなに悲しかった。わたしはこんなに不安だ。わたしはこんなに絶望している。ではなく、悲しみそのもの。不安そのもの。絶望そのもの。を伝えようとしているのかもしれない。だから、不思議と澄んだ感じを与えるのかもしれない、などと思っていて、そんな話を妻ともした。

 

 美術館を出ると、その前に大きなポスターがある。

「不安」というタイトル。「叫び」と同じような背景で、その上で何人もものすごく青い顔をして並んでいる絵が、そのメインになっていて、それをバックにVサインをして写真をとっているカップルがいた。なんだか勝てないような気がした。

 

 

(2007年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

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