アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

写真新世紀 東京展2014。2014.8.30~9.21。東京都写真美術館。

f:id:artaudience:20210223161744j:plain

写真新世紀 東京展2014。2014.8.30~9.21。東京都写真美術館

 

 

2014年9月19日。

 

 去年も椹木野衣ツイッターを見て、この展覧会を見に行ったし、おととしも、同じきっかけで個展まで見に行った。全部、若い女性だった。若い人の作品を見たい、と思うのは、自分が老いていく、ということを分かっていて、少しでもそこから逃れたいというような気持ちなのだろうか。

 

 今年のグランプリは、椹木氏が選んだ写真家の女性がとった。グランプリは大きく最初に並んでいた。行方不明になった女性のデータ通りに自分で再現して、それを撮影した、という作品が並んでいる。そういう事を知っていると、ちょっと恐い。ただ、行方不明になった女性は、そこで時間が止まっていて、写真家は老いていく自分への恐さとともに、そういう写真を撮ったらしい。よけいに恐いかもしれない。

 

  ただ、そういうコンセプトこみでないと、この写真は評価されないだろうけど、そういう事を含めての作品なのだろうとは思う。いろいろな意味が含まれていて、そして、それを知った上で見ると、いろいろなことを考えたり、感じたり、そこに見える写真以上に、頭をよぎっていくと思うから、それだけでも凄いのかもしれない。須藤絢乃 1986年生まれ。「幻影」。

 

 女性の写真。全部、微妙な表情をしている。微妙な距離感。この写真を選んだヒロミックスは、全員、うるっと半分泣きそうな顔をしている。という言い方をしているが、この写真を撮った人間は、付き合っていた彼女と別れてしまったので、知らない女性に声をかけて撮ったらしい。それに対して撮影者が「知らない人に撮られるときに女性が見せる表情や雰囲気は別れるときに彼女が見せたものと似ていて写真を撮りたいと思いました。たぶん自分を慰めるためだったのだと思います」とあって、なんだか納得してしまった。森本洋輔「Yoyogipark,Shibuya-ku,Tokyo」.

 

   この2人の作品が印象に残った。あとは、佳作では、「18歳の大人達」という18歳の女性達の写真で、この撮影者の言葉が、もしかしたらありがちかもしれないけど、でも正直で印象に残る。『昔から自分の容姿に自信が無くて写真に写ることも拒んでいた。そんな私が自己表現として始めたことは「彼女達に自分を映す」ことだった』。

 

 写真美術館は、もう少したったら、改築のために2年間の休業に入るので、4階の図書館に行ったが、多くは蔵書らしく、あまり見る事ができなかった。ただ、この美術館は、自分にとっての節目のときに来ることが多く、印象が深かった。写真の美術館で、やっぱり写真集で見るのとは、やっぱり違う、というのは分かった。

 

(2014年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

www.fashion-press.net