2000年3月。
アートの枠組みを解体。
そんな言葉が、チラシにあった。
解体とか、そういうキーワードは観客にとっては、疑問だった。
小沢剛の芸術相談カフェは、よかった。文化祭みたいだけど、興味深かった。来店したお客の意見によって、店のスタイルなどを変えていく。行った時は、花見の席のような場所とメニューがアミダくじで決まるといったシステムだった。妻は、アミダだと店員さんが笑顔で言っているのに、その答えの所を指差して「ペリエ」などと笑顔で言って困らせていた。それでも、この展示をすごく喜んでいた。ただ、その翌年、漫画家 相原コージが「何がおもしろいの?」というマンガを出したのを知り、それは、読者の希望を聞きつつ連載するというものだったが、この喫茶店のような好意的な感じはものすごく少なく、下手すると作家が蒸発くらいはしてしまんではないか?と思えるくらいの変なすさみ方をしていて、はるかにリアルだったが、やはり反応する人数の違いなのか、と思ったりもした。
4階の栃尾貞治。毎日、色を塗り続けて、絵の具が物質のようにウエハースのようになってしまったり、とにかく毎日、描き続けているらしい。初めて知った作家で、しかもかなりのベテランで、この歳までやっているんだ、ということで、こちらにとっても希望といっていい気持ちは確かに湧いてきたが、でも、どこかで義務になってないだろうか。続けることに意義を見い出し過ぎてないだろうか。という気持ちも湧いてくる。それを言い出すと、その人の人生の否定みたいな話になってきて、プロレスラーの大仁田厚が、引退し、復帰し、最初はミスター・ライアーと名乗り、その後、何かあるたび、いや、なくてもマイクを持つと、「これがオレの生き方じゃー。誰にも否定はさせん」と言っていて、ホントに生き方を出されると否定が難しいが、パフォーマンスアートのようだった。
ただ、栃尾さんの方が、まだ何か、たとえばアートみたいなものをジャンルとして信じ過ぎていないか、といったことを思ったりもする。それは世代で語るのは安直すぎるとしても、でも信じられた時代だったのかもしれない。それにどこか似た印象があるのに、大竹伸朗とどこかが決定的に違う感じがするのは、どうしてだろうか。でも、この人の作品がもっとキレイにパッケージされたり、誰かがとてもうまく誉めていたりする原稿を先に読んだりしていたりすると、やっぱり違うんだろうか、と思ったりもする。そういう自分の中の偏見が、全くのゼロと言い切る自信はない。
2階の大木裕之の映像作品は、個人的には、自分には縁遠いものだった。
こういう試みをするワタリウム美術館はすごいと思う。志だけを見にくるという形も出来るような気までした。
あとになって、『番外編 体験ルームへ ジョン・ダンカン「ボイス・コンタクト」 完全な暗闇の中で、衣服をすべて脱ぎ、ひとりで参加するサウンドインスタレーション。』という作品があるのを知って、参加できなかったのが、残念だと思った。
(2000年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。