2012年8月1日。
学校で作業をして、終ったあと、そういえば、岡田裕子展をやっていたと思い、行ったことがなかったので場所も分からず、途中の駅で電話帳を見て分からず、あそうだ、本屋へ行こうと思って、ぴあはないし、と思って、美術手帳を探そうと思って、久しぶりに神保町の三省堂へ行って、草花の特集のブルータスを買って、美術手帖で、ミヅマアートの場所が分かった。それから市ヶ谷で降りた。もう20年くらい前、ここに出版社があって、月に1度くらい通っていたことを思い出し、風が本当に夏の夜の風で気持ちよくて、それはエネルギーが含まれているから、何となく前向きになる感じがあるのが夏で、南の国の方が、たとえば南米の方の小説の感じを思い出させるものがあって、ずっとこういう気候だったら、やっぱり自分だけでなく、周りの人達の性格も変って来るだろうな、などと思った。
徒歩5分のわりには、遠かった。住所しか分かってなかったから、その番地を頭の中で何回も繰り返し、時々道端にある地図がなくなってきて、不安になって来た頃、勝手に見慣れた気持ちになっていたミヅマアートギャラリーのマークが見えて、安心した。
2階にあがって、重いドアで、知らなかったらとても開けられない重さだった。開けたら、思ったよりも広いというか天井が広い空間だった。岡田裕子。会田誠のパートナー。ランジェリー(下着という言葉だと、違うような気がする)をテーマにした作品。ブラジャーやパンティー。写真などで少し見ていたものとは違って、もっと大きかった。2メートルくらいの大きさ。それを、大作りではなく、繊細なものが集ったように、どこも雑な感じがしないような、それでいて、紙(?)で作ったせいか、はかなさまで、こんなに大きいのに感じさせたり、それで、きれいだった。
とても、細かい色使い、よく見ると、特にパンティー(もう、この言い方はしないらしいが)には恐い感じもあるのに、作ってあるのが、こういう事は工作としても作ることは出来るのだろうけど、明らかに、それとは違うテイストがある。
部屋の真ん中には食事と性をテーマにしたらしい、ビデオを見ると、フォークがクレヨンで出来ていて、その食事のあとが、皿にいろいろな色の線などがついている感じは、セックスをしたあとのベッドみたいなものなのかもしれない。こういうことを分かったように書くのは恥ずかしいが、そんな風に思えた。
大きい空間に、半立体のような作品が大きく、それでいて、繊細さとキレイさもあって、ビデオ作品は、前もあったが、それに比べると、下着だけの男女が近い場所で食事のようなことをして、それがセックスみたいにも感じられ、ということをしていたが、それよりも、それを見て、その会場に並べられているいろいろな色のカトラリーが、実はクレヨンだったりすることを、分かった事の方に意味があるような気もした。
できそうでできないよく出来たものだと思い、ランジェリーというものが自分が身につける人が作ったもの、という感じはした。夜中のラジオでさめざめというバンドがあって、その曲のタイトルに、ズボンのチャック、という言葉が使ってあって、それは男性である私にとっては日常だったが、その歌を作った女性によると、性的な意味として、じゃあ、あなたが魅力的な女性にチャックをおろされた、と考えたら、どうですか?と言われ、ああそうか、と思えた。この距離感の違いが、ランジェリーの時の違いと似ているのかもしれない、と思ったりもしたことを、あとになって思い出した。
ギャラリーを出て、夏の風がやっぱり気持ちが良かった。
(2012年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。