アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「ドマーニ・明日展2013」。2013.1.12~2.3。国立新美術館。

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「ドマーニ・明日展2013」。2013.1.12~2.3。国立新美術館

2013年1月24日。

 ドマーニ展は、文化庁が表に出過ぎていて、これまで少し敬遠してきた。だけど、今回は、知り合いが、すごくいいメンツと言っていて、確かに名前を見たら、知っていて興味が持続している人が並んでいた。未来を担う、というテーマから見たら、すでにある程度以上の実績を積んでいるのだから、この人達を再び海外へ派遣させて、展示する、という意味合いはやや落ちるとは思うものの、見る側としてはうれしかった。

 

 学生料金で入れて、うれしいが、それもあと少しだと思うと、ちょっと寂しく、だけど、まだ使えるうちは使いたい。最初の部屋が、ちょっと古い感じがして、だけど、同世代には村上隆がいるのに、みたいな気持ちにもなり、それでも、大理石で木漏れ日まで立体にしてしまった曽根裕。

 

 一般からもう使わなくなった靴を集め、その一つ一つに持ち主だった人の手紙までつけて、全部を赤い糸でつないだ塩田千春。その手紙の一つは、かわいい便せんに、サンダルに「イチゴミルク」という名前をつけて、でも、そのサンダルはすべりやすいから、3回目に転んだ時に持っていたケーキがぐちゃぐちゃになってケンカ別れです、みたいなことを書いてある手紙や、息子の小学生の細い足に似合っていたまるっこいスニーカー、みたいな書き方をしている母親の文章で、それが、今は息子は21歳ですと書いてあって、まるで、まだ小学生のような書き方で、親ってある意味で時間が止まっているんだな、と感心もしたりして、全部の手紙が読みたくなったりもした。

 

澤田知子は、ギャル風のかっこや、メイド風のかっこうをしていて、(こういう分類はおそらく粗すぎるのだろうけど)さらには、ニューヨークに行ったせいか、ウォーホール風にケチャップのいろいろな国向けの全種類を写真に撮っていたし、青野千穂という人は初めて知ったが、セラミックの焼き物が「寄生獣」のようだったし、池田学は、相変わらず、よく描く、と見る充実感みたいなものがあった。小尾修、という人はレンブラントの模写をしていて、それが留学のレポートのように見え、全体でも、今、こういう絵を描く意味がよく分からなかった。それに橋爪彩という人の若い女性の脚の描き方がすごくよかった。今の美しさみたいなものと、願望みたいなものが出ていたと思った。展示室の中で、近所のギャラリーカフェのオーナーと会った。なんだかうれしかった。

 帰りに一蘭でラーメンを食べた。タレを2倍にしたら、やっぱり辛かった。

 

(2013年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。