2016年7月24日。
どこで見つけたのか、もう覚えていないのだけど、このシンポジウムには、行こうとは決めていた。自分が知っている範囲にしか過ぎないが、去年と今年の東京都現代美術館での検閲もどき、というか自主規制というか、それは1人の学芸員というか、責任者の名前がよく出てきていて、あああの人か、と思えるような人だった。
どちらにもしても、大げさにいえば、表現の自由というのは本当は存在しなくて、戦い続けるしかないのだろうけど、でも、これから憲法を変えて、気に入らない表現は本気で政府が制限する、ということになったら、たぶん大勢の人は、あんな表現なんか制限されて当然、みたいな声が多そうで、だけど、そういうことが確かにじわじわと効いてきて、という話もされるけど、もっと身につまされるような話題にしないと、おそらくは「何それ?」「変えるのいいじゃん」といった感じで、本当に「改正」されてしまうのかもしれない。
その長く続く不自由は、慣れてしまえば楽かと思うと、やっぱりじわじわと効いてくるのかもしれないが、そこをちゃんと説明できないと、何か内輪で盛り上がるのに終始してしまうのだろうな、と何だかろくでもない未来しか見えない。どちらにしても、こういう企画を、それも無料で開いてくれるのだから、いつもよりも早起きしても出かける。
開場が12時30分。それを数分だけ過ぎて、会場に入った。もう人はけっこういる。先着210名らしいが、6割はうまっていそうだった。一番後ろの右端に座る。思ったよりもキレイで立派な講堂。こいう場所を使わせてくれるのは有り難いとも思う。12時45分くらいで、すでにいっぱいになり、席が足りなくなり、会場内のゆるやかな階段に座る人がけっこういる。実は、美術評論家連盟というのは、世界的な組織で、フランスに本部があって、これは日本支部、という存在が主催している、といった事実を初めて知った。
席の前のほうは、関係者だけなのだろう。椹木野衣氏の姿が見える。少しやせたのかもしれない。
午後1時から始まった。5人のパネリストがいて、それぞれがしゃべって、それぞれがパワーポイントを用意していて、その準備も大変だったのだろうな、と思ったりして見ている。申し訳ないのだけど、自分の理解不足もあるが、途中で退屈もしたこともあった。
司会は、清水敏男氏。
最初の話は、林道郎。ろくでなし子氏の裁判などについての説明。3Dで性器をプリントアウトして、ということが、自身の作品を作るためのクラウドファウンディングで使われた、といったことも初めて知り、こそこそとエロさだけを目的に行われたことのように伝えられていたから、正確に伝えるのは難しいし、もうマスコミに期待はしないで、どうやって独自の伝え方をしながら、信用を得ていくかに変えないと、話にならないのかもしれない、とも思った。こうした事も憲法の改正によって、さらに多くなるかと思うと、やっぱり息苦しい感じはした。
ただ、こういう話が大勢の人たちに届くかといえば、美術とかアートとか訳の分からないことやっているヤツは規制されて当然、みたいな見られ方をして、そこで遡れば、戦前とか戦時中も、表現の自由みたいなことって、大多数の人にとってみれば、それほど関係がないことだったのではないかと思う。それから教育の水準が上がったと言われているけれど、それでも、そのことに関しては、変わっていないから、だから、表現の自由というものが、実は大きく世界をよくしている、ということを実証しない限り、同じことが繰り返されるのではないか、といった事を思ったりもする。
この人がろくでなし子の裁判で参考人としてしゃべって効果があったと会場にいた弁護士の話で分かった。
土屋誠一氏。東浩紀のツイッターで名前を見た事があり、よく炎上しているらしいが、その話し方は、正直だと思った。ただ、話していることは重要で東京都現代美術館にまつわる、去年と今年の話で、それについて質問を、この評論家連盟の会長の名前で送ったものの、その答えは、名前もなく、印もなく、といった一枚の紙が来ただけらしく、最初からまともに相手をする気がないのかな、といったことを思った。
愛知県立美術館 学芸員。中村史子氏。唯一若手といっていい女性だった。ヘイトは展示したくない、といった発言があった。それは正しいと感じつつも、そういう制限そのものを恣意的でなく客観性があるものと証明することもしないと、規制する側と発想が同じになってしまうかもしれない、などと思った。制限する側も、それが正しいから、と思い込んでいるのだから、その思いこみみたいなものに気をつける、ということなのかも、と思った。
愛知県立美術館での鷹野隆大の写真作品に布をかぶせて展示する、という事件のことを、説明してくれて、その中で、1人の人間の密告みたいなもので、警察が来て、陰茎が写っているから撤去、という一方的な言い方に、すぐに対応しないで、作家を呼び寄せて、関係者も含めて話し合いをした。その時に、作家が、まるでそうした介入がなかったようにさりげなく撤去したり変更したりはしなたくない、ということをはっきりと意志を表明したことで、関係者の空気が変わった、らしい。やっぱり言うべきときに、しっかり言わないといけないんだ、と改めて思ったし、そのことで、布をかぶせる、という変更が行われたものの、撤去は避けられたが、密告する、という方法にどうやって対応するのだろうとも思った。そして、やはり粘り強く交渉する、ということは出来るかもしれない、などと思った。
小勝禮子氏。ジェンダーの歴史を語る。そして、ジェンダーフリーといった言葉を使うか使わないかで、講座がキャンセルされたりしていたが、こうした長年のことは、やはり、日本会議がからんでいて、女子供のことだから重要じゃない、と無関心でいるうちに、日本会議は力を蓄えたのではないか、という話になった。1997年にジェンダーをテーマにした展覧会、ということで、3つあげてあって、そのうち2つを見ていたことは自分でも意外だった。
光田由里。富山県立美術館で働き始めた時に、大浦信行の「遠近を抱えて」という作品を巡る話をしてくれて、その時の館長側のかわそうとしすぎた印象。もっと正面からやればいいのに、という思いになる一方、この作品には天皇の肖像が使われているということで、もめたけど、こういう抗議する側の1人の情熱でカタログを焼却することまでが、どうして許されるのだろう。勢いに押されて、右翼の街宣車が来て、といったことで、何かうやむやになっていて、最初の覚悟がないと悪化する例のように思えた。ただ、そこでさらにもめたら、もっと酷いことになっていたのかもしれない、とも感じるし、現場にいたら、怖いのだろうとも思う。
この人は、現場にいたのだけど、何かがあると現場の人間はシャットアウトされて、上のほうでいろいろと決まっていく、ということを思った、と語ってくれた。
4人の話は、私自身の無知はあるとしても、知らないことばかりで、だから、こうしてシンポジウムという場所を開いてくれて、ありがたい気持ちはした。
ただ、予定よりは長くなって、だから、後半は「時間がおしてる」という言葉が繰り返され、そのことで微妙に時間が削られ、だけど、その中で、中村史子が、表現それ自体が暴力的で、誰かを傷つけているという原則を忘れないようにしたい、という話をしていて、なるほどと思ったものの、この人が、これは展示できません、と柔らかく語って、帰省する側に回らない保証もなく、自分の判断への恐れみたいなものがない感じがちょっと怖かった。つまり、学芸員が展示の可否を判断すること自体が、表現の自由への侵害になる可能性はなる事は、ないのだろうか、とちょっと思った。
それでも、これだけの企画をしてもらって、ありがたかった。
もっと率直な話し合いになれば、とも思った。
(2016年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。