アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

六本木クロッシング2013。[アウト・オブ・ダウト]展。日本現代アートのいまを問う。2013.9.21~2014.1.13。森美術館。

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六本木クロッシング2013。[アウト・オブ・ダウト]展。日本現代アートのいまを問う。2013.9.21~2014.1.13。森美術館

 

2013年12月23日

 第4回目になるけど、これまで「こういう企画やるんだ」と期待が高まって、ただ実際に見た時の印象は、その期待ほどではないと思ってしまう。とはいっても、あとで振り返ると、あの時にこういうアーティストが作品を出していたんだ、と思えるような展覧会になるんだろう、というような気持ちはあって、そしてそのチャレンジ感というのは、自分が知らないアーティストが作品を出しているということなので、見てみるまで、この人知らない、という人が何人もいる。

 

 ここのところ、今のアーティストの作品をしっかり見る、ということをしていなくて、それが微妙にストレスをためることにつながっているのを少し自覚していた。わたしは介護を始めてからの辛さは、そしてかなり辛いときほど、今の時代の作品に気持ちを支えてもらったという記憶の蓄積があるから、光悦もよかったけど自分と同じ時代を生きている人の作ったものを見たい、という気持ちはずっとある。

 

 六本木ヒルズのビルの上では「スヌービー展」をやっているようで、その方が入場料も高い。もうすぐクリスマスで人が多くて、だけど、展望台までは普通に上がれた。「スヌーピー展」は混んでいて、ウソみたいに列が出来ていた。

 

 入り口には岩があった。意味ありげな人工の岩。スタッフに聞いたら、中で説明が聞ける。それも、無料の音声ガイドを聞いてください、と遠ざけるように言われた。

 

 イスや衣服やいろいろなものを使って壁のようなものが出来ていた。小林史子の作品。政治的な作品も、現代の風間サチコや、過去の中村宏の作品もあったけれど、時間がたつと印象が薄れ、そして40年前の政治的な作品は、こういうものがあって、それはその時は「こういうものを作ったんだ」というインパクトとか、その時代の時に、「ここまでやるなんて」というものだとは思う。

 

 

 小泉明郎。マスクをかぶった人がしゃべる。もっと理性の奥を、というようなことをおそらくアーティストだと思われる声が繰り返している。殺したい、みたいな話とか、を話し始める。そのアーティストの言葉で「突っ込んで行けばいくほど、口にされることは陳腐な内容になっていくように思えた」とあった。

 素直に、いいと思った作品は、森千裕がヘルメットに映像を映していたもの。南川史門の絵。(そういえば、目黒美術館で見た人かもしれない)。

 感心も含めた興味が出たのは、柳幸典。アリを使って砂で作った国旗の作品。もう20年前のものらしいが、今でも新鮮な印象がある。さらには、下道基行の、戦争のなごりというには当然ながら生々しい建造物がまだかなり残っていて、それを撮影している作品。

 大震災以後、というテーマを掲げていたが、それならば、比べるのも変かもしれないが、この前見た「未来の体温展」の方が、震災のことを強く意識できたと思った。ただ、今日はすごくたくさん作品を見たせいもあるかもしれない。この3分の2くらいにして、ゆっくり見れたら、もっと印象が強かったかもしれないが、でも、やっぱり見てよかった。今の時代の作品を時々は見ないと、ちょっと気持ちが少しずつ落ちたり、少しだけど停滞するような気持ちになる。

 

 泉太郎が作品の中で人の目の動きの映像を使っていたが、その視線を作り出すために目の前でろうそくを近づけたり、何かを回したりしているのを思い出し、そうした努力は当然かもしれないが、なんだか感心したのも思い出した。

 

 

 

(2013年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

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