1996年。
目黒の庭園美術館は静かできれいで人が少ないと落ち着いて好きな場所だ。
ただ、今回は結構混んでいた。中年男性がたくさん来ていた。
昔の茶碗などを『本歌取り』と和歌の伝統的な用語を使い、要するに真似していた。それ自体は悪いと思わないが、素晴らしいので真似してみました。と素直に言わずにどこか偉そうに見えてしまった。
年表にこんな言葉を見つけた。
最初の妻と離婚する時に「芸術家の妻にふさわしくない」と言って、自分から別れを告げたと書いてある。こうした言葉を本当に言う人は、初めて知ったような気がする。
焼き物、書、あとはこちらも無知で良く分からないのだが、とにかく分かりやすい日本の伝統の様々な作品が並んでいる。少し細かく解説を読んだりすると、自分で作るだけと言うよりは、プロデューサー的な事も、かなりしている人のようだった。
器用な人だったのだろうし、自分をこう見せたいと決めてそれを実現する能力は凄かったんだろうと、思う。
魯山人が様々な作品を作っているのを見て、周囲の少しの人には聞こえる声で「天才だよね」と、つぶやく中年男性がいる。こういう評価を死んだ後も得られるというのは狙いは凄くあたっている、ということのようだ。
でも、私にとっては、今回の作品を見て、本当にすごい芸術家とは思えなかった。でも、魯山人のもてはやされ方は、無視できない法則をキチンと押さえているのだろう。そして、今の中年男性というのは現代人の一つの典型だろうから、彼らのあこがれに見事になっているというのは、何か今の時代を象徴するものを魯山人が体現しているということだろう。
だから、今回も、観客が多く訪れているのだと思った。
(1996年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。
「魯山人:文芸の本棚」