アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

ネイチャー・センス展。2010.7.24~11.7。森美術館。

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ネイチャー・センス展。2010.7.24~11.7。森美術館

2010年10月30日。

 久しぶりの美術館で、さらにすごく久しぶりの友達にも会う。雨が降って、しかも台風が近づいているという日になってしまい、六本木のビルの前のクモの彫刻の下で待ち合わせ、という事になって、それで微妙に遅刻もしそうになり、遅れる、と言った事で妻と微妙にもめる。

 

 何人か集まった人達は元々は妻の友人夫妻2組だった。久しぶりに会えて、まずは何だかちょっと緊張しつつ、でも笑顔でしゃべれたりもして、時間がたつとホッとはしたけれど、招待券をもらって、それを自分たちで使ってしまったりもして、ややとまどっている間に、エレベーターに乗り、美術館のある階まで上がって行く。帰りは見られないから、という声によって、まずは展望台のところに行き、雲の中にいるような灰色がかった白い風景しか見えないのに、それでも記念撮影どうですか?とすすめる人を見て、感心もし、少しあきれもし、だけど大変だとも思いながら、実は撮影をすすめる人は、どう思っているんだろう、と聞きたくもなる。

 

 それから美術館の中に入る。最初は吉岡徳仁の作品。デザイナーで、勝手に雑誌とかインターネットとかで情報だけは知っている。結晶させたイスとか、あとは、ものすごくたくさんのストローを使ったインスタレーションが、写真でしか見ていなかったけれど、すごくきれいで、少しびっくりして、すごいと思っていたので,今回のもスノーというタイトルは知っていて、期待がしていた分だけ、もしかしたら勝手にがっかりしたのかもしれない。透明な大きな箱の中に無数の鳥の羽(フェザー)があって、時々、中の扇風機が回って、かき回されて、確かに雪のようにも(といっても、吹雪みたいなものを知らないから、違うなどと本当は言えるわけもないのに)うわっと思うけど、おそらくは期待が高まっていただけに、もっとと思ってしまう。もっとでかくて広くてたくさんの羽が見たい、などと。そして、箱の継ぎ目にひっかかった羽が並んでいるのが気になったりもする。ただ、その逆の方向から見た方が、扇風機も見えないせいもあるのか、おおと思うような光景に見えた。でも、やっぱりもっと圧倒的なでかさが欲しい、と勝手な観客は思っていた。

 

 それから、大きな画面に、あちこちの風景を映しているスクリーンがあって、残響というタイトルがついているから、何かの音がずっとムーンと響いていて、それが何かの雰囲気を出してはいるけれど、時々、おっと思うような風景が広がったり、時々、動物園のバクが映って、それが連続したドラマみたいにも見える、と妻は言っていたが、それがちょっと余計かもなどとも思っていた。

 

 あとは、上に水が垂れてくるようにして、水面に波紋が広がる、という作品があったけれど、落ちてくるところが見えたり、下に作られた人工的な池の完成度がいまいちだったり、あとは白い崖みたいなものを作り、そこに赤い液体が流れて、それが循環して、みたいな作品は、少しどうなのだろうと思った。篠田太郎、という人の作品は、お金かけたり大規模だったりするが、どうも、勝手ながらピンとこないことがある。

 

 栗林隆は、部屋いっぱいに腰をかがめるくらいの高さの紙らしきでこぼこの天井を作って、と思ったら、ところどこに穴があいていて、そこから顔を出したら、雪の森の穴から顔を出している動物になれた。他の穴から顔を出している人を見ると、リスとか熊とかに見えて、思った以上に面白く、その光景は分かっていながらも、あちこちの穴から顔を出し、いっしょに行った人達と顔を合わせると、笑っていた。その後の土を盛った山の作品はピンとこなかった。全体的に大規模っぽいけど、気持ちの中にひっかかりが少ない、というものになってしまったが、こういうインスタレーションものって、けっこう難しいな、と改めて思った。

 

 MAMプロジェクト、というのがあって、その意味もよく分かっていないのだけれど、でも、その「トロマラマ」というインドネシアのアートユニットの作品は、パンクな音楽に合わせて、そのプロモーションビデオを、版木を削ったものをコマ割りして見せる、というシンプルで手間がかかって、でも、なんだか人手がかかっているのがよく分かるもので、どこかぎこちなさもあったが、その音楽とよくあっていて、すごくいい、と思えた。そうしたら、妻は、この日で一番いい、と言っていた。

 

 もちろん好みの問題に過ぎないけれど、人の手がかかっているものは、やっぱり何かが伝わりやすいのかも、と思ったが、おそらくそんな単純なものではないのだろう。インスタレーションでも、言葉を失うものを見たあとは、その発想のすごさに強いインパクトを残すはずだから、今回のものとの自分との相性なのだろう。招待券をもらっていて、申し訳ないのだけれど。

 

 

(2010年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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