アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「ホーム・ランド」。ゲンロン カウス・ラウンジ 新芸術校第4期 最終選抜成果展。2019.3.3~3.10。ゲンロン カウス・ラウンジ五反田アトリエ。ギャラリー201。

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「ホーム・ランド」。ゲンロン カウス・ラウンジ 新芸術校第4期 最終選抜成果展。2019.3.3~3.10。ゲンロン カウス・ラウンジ五反田アトリエ。ギャラリー201。

 

2019年3月8日。

 

 1年のうちに3回も4回も行ったのは、五反田という場所が近いのと、かなりひんぱんに展覧会を開催してくれるようになったのと、無料ということと、まだこれから、という作家ばかりなので、その意欲がまっすぐだし、話をしていると、気持ちがいい、というか、熱量が高い事が多いからだと思う。

 

 場合によっては、作品にそれが十分に反映されてないのに、というような印象を持つ事もあるが、それでも、「新芸術校」という教育機関であり、1年という限られた期間でありながら、作品がある程度以上の質をキープしていて、その上で、その作家の初期衝動が大事にされている気がするというか、その作家本人の欲望や願望や思いを作品化しているので、見ていて、何かいろいろなことを感じさせてもらって、新鮮だったりするので、行くようになった。

 

今回も、ここの成果展に至るまでに、予選的な展覧会もあり、それも、おもしろかったのだけど、成果展は選抜されているのだから、さらに、また新作を作って大変だろうけど、と思いながらも、自分の体調があまり優れず、そして、会期も一週間くらいしかないので、何とか行けることになったのが、金曜日だった。

 

 アトリエは、最初はビデオ作品だった。座り心地の悪いクッションに座りながら、そのクッションも作品の一つとして、映像の中に登場するが、家族が出てきていた。父親は若く(といっても、40代くらいか)、その息子としての作家と、搬入までの間に会話をかわし、クルマが赤信号の間だけ録画する、という作品で、それで、出てこない母親のことが語られて、というもので、名前、というもの、偶然性の高いものを、いわゆる異名みたいなものを自分でつけたりしている母親がいて、ただ、母親本人が出てこない。國冨太陽。自身の太陽という名前と、父の晃一という名前の関連性。母親(解散した、というから、離婚した?)の偽名が「美晴」で、といったことがあって、何かつながる感じはなかったが、会話と映像はずっと見てしまった。自分で、操作もしながら。

 

 奥のスペースが、今回、この選抜展で、金賞を獲った青木美紅の作品。自身の出自を作品化したもの。異常に愛されて育って、何かあると思ったら、配偶者間人工授精で生まれたと知った。そのことを話してもらった時の母の笑顔が、刺しゅうされ、そして、回っている。リビングの風景が刺しゅうされ、それは、その事実を知った時から、違うものになった、といったことらしく、その全体はきれいで光っている。あとで、少し話もしたが、何かを細かく悩むタイプではないようだった。削除されていた優生保護法に関する作品も見たかったが、その個人情報や様々なことへの配慮が欠けてしまっていたらしい。

 

 そこから次のギャラリーへ。五反田というよりは御殿山といっていいのか、少し山の方へ歩くと、大きな住宅が多く、いわゆる富裕層が集まっている場所だと改めて気がつき、「ヌキテパ」も初めて、見た。こういう場所にあるんだ、と思えて、そこからまた歩いて、きれいな、こういう場所にふさわしいマンションの一室に、これまでの作品とは違う感じのギャラリーがあった。

 

 4人の作品が、それぞれの部屋で展示されている。

 浦丸真太郎。自身の経験を元にした作品を、以前も見て、それはある意味では大変な経験でもあったのだろうけど、今回も、ブラックライトを使って、キッチンの中で写真やメッセージを探すという形式になっていて、ちょっとゲーム的でもあったのだけど、その言葉は、かなり直接的で激しい言葉でもあった。

 

もう少し、違う、独自の言い方でもいいのでは、と思ったが、そこから出て、明るい場所に広がるバブルっぽい感じがする作品たちや、さらには文書があったのだけど、それは自身の同性の年上のおそらくは経済的に豊かな恋人との関係を示すようなラインでのやりとりや、さらには資金提供を示すものもあった。別れた相手との、こんなに強い痕跡もすごいが、でも、何か仏壇みたいだと思ったら、そういう意図があったようだった。明るいゾーンには、熱帯魚とか、フルーツの作りものとか、いろいろなものがあるが「バブル」というテーマに沿ったもので、本人が説明してくれたのだけど、あの感じはよく出ていた。痛みが伴う展示でもあるのだろうし、続けていくのも大変そうだけど、すごいとは思った。この高級そうなマンションの一室や、ここに来るまで、歩いてくる感じも含めて、取り込めていると思った。

 

 F・貴志。以前、アーティスティクインカムという作品で、いろいろといただいたのだけど、今回も、「ヒノえもんの平袋」というテーマで、戦後も含めたことをテーマにして、お金か、家族か、人とのつながりか、どれかの安心感を選ばせてくれて、またその作品もいただいた。戦後の話もして、大阪万博の話をしたら、意外と聞いてくれた。楽しい時間でもあったのだけど、相手がつまらなくならなければいいな、とも思った。いただいた「平袋」の中には、ヒノえもんが入っていて、今も部屋の中で一生懸命立っている。

 

 アイコン。閉塞した未来都市の物語をつくり出していると思えるのだけど、その映像の感じが、ああそうか、という納得には、残念ながら結びつかなかったのだけど、それはこちらの理解不足もあるのかもしれない。 

 

 NILバーチャルリアリティーの空間の中で、人がしゃべったり、「発狂回復チップス」が回ったり、じゃがいも選別工場が見える。360度の視界。声が聞こえる。あまり意味が分からないけど、すごく切迫していて、それで、どうしようもなく、出口がない感じ。作家が説明してくれたのは、自分が発狂していた時をテーマにした作品で、その時に「家族会議」があって、その意味のなさみたいなものを話してもらった。症状が重い時に、“病院に行くか、おはらいを受けるか”ということを言われて、それが「家族会議」の時だったというので、それは、やっぱり異常なことでもあるが、今でも全国での「家族会議」は似たようなものかもしれない。

 充実した展示だった。作家の熱量も高かった。すごいことだと思う。

 

(2019年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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