アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「せかいをうつす」。2017.7.8~8.20。藤沢市アートスペース。

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「せかいをうつす」。2017.7.8~8.20。藤沢市アートスペース。

 

2017年8月9日

 用事の帰りに寄ろうと思ったのは、いつも気になっていて、行ったことがないところだったし、辻堂に新しいショッピングモールができてから、風景が変って気配もかわって、昔はあった工業地帯とは言わないまでも、工場地域な感じが変ったみたいだったし、そうなると文化が欲しくなるのかとも思ったが、公共の施設は「地元」のしばりがキツすぎるとは思ったりもするし、見る方にしてみれば、「地元」かどうかよりも、いいものというか、すごいものを見たいはずなのに、と思ってみたりもするが、何しろ午後7時までは開いているので、寄ることにした。

 

 駅を降りて、モールの外側の道を、モールを横に見ながら歩くことになる。夏の暑い気温。知らなかったが、モールのうしろには、新しい公園があって、広くて、遊具は少ないが、若い親子が目に入って、ゆったりとしたスペースがあちこちにあり、空は広く、リゾート感がすごく増していた。

 

 そして、まだ新しいビルの6階にあるけど、ここまでわざわざ来る人は少なさそうで、もっと駅でポスターをはるとか、広く告知をしないと、来ないのに、と思いながらも、エレベーターを降りると、大きい女性のイメージ。分かりやすいキレイな女性で、恐い者知らずみたいな感じで、自分とは無縁なままだった存在。それは、リキテンスタインの女性を現代版にしたようなものらしいが、その像はマスキングテープで形作られていて、それを分からせるように、まだ貼られていないテープの輪がぶらさがっていたりする。

 

 これだけ大きいイメージはやっぱり面白くて、グレートヌードといった作品を思い出したりする。引用などをするのは、歴史をつなげるためか、それとも何かの選別なのか、と思ったりもするが、それはアウトサイダーアートの定義の中に、正式な美術の教育を受けていないもの、という言葉があって、ある意味で、差別的だけど、そのことによって、生き抜いてきた分野でもあるのだから、清々しいまではいわないけど、そういうものだと思った。

 

 マスキングテープを使ったのは、Hogalee。というアーティスト。1975年生まれ。小中高が藤沢市。芸大出身だから、おそらくは日本人。

 そのあとの部屋は、井村一巴(いむら かずは)。大阪生まれだが、高校が藤沢。セルフポートレートが並ぶ。自身の裸も含めて、そのまま自然に写っている。1980年生まれ。三十代。写真というのは、作品化するのは早いが、プリントするのにお金かかりそう、等と思ってしまったりもする。暗い自己愛、みたいなものも伝わってくるが、写真にピンで傷をつけて、それで作品に深みというか、幅を持たせているのが、新しさみたいなものかもしれない。

 

 磯野泰治。写真を元にして、それをネガのような版画のような作品にしているが、近くで見ると、抽象的な絵みたいなものに見える。この作家は茅ヶ崎在住。作品によっては、見て気持ちいい色合いと広がりがある。森の中の不安が写っているのかもしれない、と思えるような時も、見ていると、時々ある。

 

 他に誰も、観客はいない。

 入って来てしゃべっているのは、次の展示を控えて、この階のレジデンスとして、アトリエを貸してくれて、そこで作品を作っているアーティストの一人で、この会場の設営の方法などを聞いていた。こういう作品づくりの場所を提供したり、それが観客も見られたりするのは、すごくありがたいような場所にも思えた。

 

 

 

 

 

 

(2017年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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