アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「変容する周辺 近郊、団地」。2018.10.21~11.4。品川八潮パークタウン。

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「変容する周辺 近郊、団地」。2018.10.21~11.4。品川八潮パークタウン。

 

2018年11月3日

 自分が社宅で育ったせいか、団地というものがテーマになっていると気になる。ただ、団地はテーマにもなることが多いし、郊外も写真に撮られたり、といったことも多いのだけど、それを対象とする人たちは都心の一戸建ての豊かな人ではないか、といったひがみも入った見方にもなっているが、それでも、団地は様々な文化が入っていて、それは豊かさというか、そういう面白さがあった。

 

 八潮パークタウンというのは、八潮団地といわれる場所で、東京湾の埋め立て地でもあって、バスでしか行けなくて、どこか陸の孤島に行くような気持ちになっている。品川からバスに乗り、しばらく乗ると、八潮団地に入っているのだけど、かなり広い場所だから、バス停を間違えると違う場所に着いてしまうから、とにかく目的のバス停が来るのを待ちながら乗っていて、ただ、コンビ二があったり、本当に街なんだ、という感じも強くて、目的のバス停で降りたが、最初はどこに行けばいいのか分からなかった。

 

 持って行ったURの広報誌みたいな紙を見て、37号棟という数字を見て、団地の上を見ると、37の数字が並んでいた。考えたら、これだけの規模の団地は、やっぱりでかいし、だけど、ここに至るまで独立した街、という感じも、バスに乗っているだけでしていて、その一方で、団地をテーマにした展覧会を団地の中の集会所で行われる、ということは、とても興味がひかれるものだった。

 

 37棟に入って、すぐに、展覧会は分かった。

 最初にいかにも、こういう集会所にある展示物をはるための掲示板があって、そこに、この団地で育って、芸大を卒業した石毛健太という芸術家が、ここを場所として、他は団地と直接は関係ない人たちを団地をテーマとして展覧会を開く、といったようなことが書いてあった。

 

 団地、というのはテーマとして取り上げられることも多くなったけど、団地に育った内部の視線がある人が関わったことは意外とないのではないか、といったような気持ちにもなる。

 

 入ってから写真が並んでいる。日本の団地なのだけど、海外からの人の方が多くなっているような団地での写真を撮っている。そこは、ここではないのだけど、日本のあちこちに同じような光景があったり、これから増えるかもしれない、というような光景でもあるのだろう、と思った。あとは、この展覧会を知った中島晴矢のラップの映像。夜の団地の敷地内を歩きながらの映像だけど、こういう広いところは、かなり絵にもなるんだとも気がつき、音楽に関しては、ちゃんと言えないけれど、気持ちのいい音が流れていた。

 

 30分近く鑑賞にかかったし、今でも印象に残っているが、やんツーの作品。自身の父親が、茅ヶ崎の団地に住んでいて、そこに出向いてインタビューをしている。いろいろなことを、この団地に住んでいる頃からの話を聞いているが、この人ならでは、といった生々しさを感じられる話というよりも、長く会社で働き、今は定年後で暮らしている、というどこか乾いた話に感じられた。

 最近、団地はとても高齢化が進んで、駅に近い立地なのに、新しく入居してくるのは、若い夫婦などではなく、高齢者夫妻というようなことを語っていて、またいろいろなサークルがあって、とか、介護されるような状況にはならずに、終わりたい、といった言葉で、すごく一般的というか、多数派のご意見ではないか、と感じる。だんだん夕暮れになって、外にはその中で染まっていく団地を見ながら、その声を聞いていると、なんともいえない寂しい気持ちになる。

 

 それから、受付で、スマホをお借りして、ここでしか読めないネットの上の小説を読む。垂水5滴 玄関を出ると100の玄関が見える。おもしろかった。ただ、玄関を出ると、100の玄関が見える、というのは、外側の感覚かもしれない、とも思った。

 

 ほぼ全部を見終わって、入り口にある curry life という作品。これが、主催者でもある石毛健太の作品だった。屋台のようになっていて、この団地内で自分のうちのカレーのレシピを掲示板を使って募集したり、直接、声をかけて怪しまれながらも集めたものだった。毎日、そのレシピを使って、カレーを作って、来場者にふるまっている。今日はチキンカレーで、少しもらった。料金もいらずに、食べさせてもらって、ありがたかった。おいしかったし。

 

 それから、そこをあとにして、またバスに乗った。またいつもの場所に帰って行く感覚。まだ寂れるといった気配とは無縁のようにも思えたが、でも、もしかしたら、高度経済成長の時代と比べると気配が全く違うのかもしれない。

 

(2018年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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