アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「タイム・オブ・マイ・ライフ  永遠の少年たち」。2004.2.21~5.9。東京オペラシティアートギャラリー。

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「タイム・オブ・マイ・ライフ  永遠の少年たち」。2004.2.21~5.9。東京オペラシティアートギャラリー

 2004年5月2日。

 若い友人二人と待ち合わせ。

 2人と一緒に行くのは、2年ぶりくらい。

 その間、彼女達にはいろいろあったのだろうが、こちらはあまり変化がない。自分で情けない。

 

 展覧会は、難波田史男から、始まる。

 時々、シャガールとか、そういうものの露骨な影響みたいな絵もあるけれど、全体的には淡さと強さが妙にミックスしていて、何だかよくて、もう40年くらい前の作品でも古くなかった。それは妻も言ってて、二人の友人にも好評だった。その作品には、クサい言い方だけど、若さがあるのかもしれない。必死さというか。作者は32くらいで亡くなったそうだ。そういうことを知らなくても、作品はよかった。

 

 それから、やっぱり奈良美智の作品はよかった。

 S、M、L。というタイトル。

 それぞれ大きさの違う小屋のようなものを建て、それぞれSは子供サイズの椅子もあった。Mは作業中の部屋、この部屋は実際は大阪のギャラリーで企画された時は、奈良が作業を続けていたらしいが。

 Lは大きいソファーが置いてあって、そこに座ってスライドを見て、その椅子の大きさに自分が小さくなったような気が、分っていてもしてしまうところだった。

 何だか、よかった。

 

 村瀬恭子は、やっぱり印刷物で見た方がいいと感じた。杉戸洋は、今回のはイマイチだった。抽象がすぎると、なんだかおもしろくなく見えてしまう。それは、自分の知っているああいう作品を描いて欲しい。という観客の勝手さなのかもしれないが、そう考えると、ほとんどいつも同じことをやっているようにも見える奈良はすごいんだろうか?それとも、どこか凄く計算しているのだろうか?でも、作品は、いつも奈良美智はいい感じで、それは凄いとやっぱり思う。つまりは、いつも、その時に描きたいものを描いている、ということなのかもしれない。

 

 有元利夫は、少し古く思えた。舟越桂のも昔の彫刻とドローイングだから、何だか少し古く思え、山本容子の昔のもかっこいいとは思いつつ、何だか古く思え、そういうことばっかり思えたのは、最初の難波田史男の作品が、時期的には古いのに古く思えなかったせいなのだろうか。

 

 勝手な見方なのだけど、必死さが違うということなのだろうか。山本や舟越の方が能力が高いぶんだけ、どこか余裕があり、それが時間がたつことで、古さに見えてしまうのだろうか。でも、それは、絶対、本人達は否定しそうだし、見る側の勝手な感想にすぎないのは、分っていても。

 

 工藤麻紀子の作品は、ゲイサイでも見た。

 まとめて何点か見ると、少女の気持悪い妄想みたいなものが(そういうのは、男である自分には絶対にリアルには分らないだろうな、と思いつつ)感じられるような気がして、それは自分にとっては発見だった。それも、その絵を見て、すぐに感じられるものではなく、しばらく見て、少したって、その絵がいくつもある部屋を少し遠くから見て、あれ?と思って、また見直して気がつく、という種類のもののような気がした。

 

 奥村雄樹は、自分のタンをいためたり、といった体に関する妙なものを作っていて、それが最後で、なんだか妻にもひんしゅくで、それは目立ちたいだけなのか?という疑問を聞いて、どこかなるほどと思ってしまった。

 

 それから、4人で一緒に食事をして、いつもすいてるオペラシティーの中の釜飯屋で食事をして、喫茶店でコーヒーを飲んでデザートも食べた。マンゴーがいつのまにか人気のフルーツになっていることに少し意外な気持ちになり、4人で行けて、楽しかった。若い友人は、反応がいい。自分の20代の頃を考えて、自分はバカだった、と改めて思った。

 

(2004年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

www.operacity.jp

 

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