アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「山口晃 展」。2013.4.20~5.19。そごう美術館。

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山口晃 展」。2013.4.20~5.19。そごう美術館。

 

2013年5月16日。

 1人の人から招待券をいただいたら、もう1人の人からももらってしまった。それも、一つは、パンフレットの一部で、クーポン券のように切取る形になっていて、これで招待券?というような小ささだった。

 

   今は自分自身が、仕事も見つからないような状況だから、何やっているんだろう?とよく思うが、それとは別に、友達と会うことはずっと続いているし、それを続けることも自分が生きていくには、かなり重要なことのはずだから、それも変わらずに続けられるように、最低限の生活はキープできて、妻も気持ちがなるべく楽しくいられるような生活にしないと、と思うと、これから先は、厳しくなる一方な気持ちもあって、どうしよう?というような迷いとか、こうやって、いろいろと出かけられるような余裕もあるのだろうか、といった気持ちにもなるが、約束もしていたし、山口晃展に出かける。

 

 最初に「こたつ派」というような会田誠の弟子っぽい人達のグループ展みたいなところで作品も見ているはずだけど、憶えていない。ただ、その後に、印刷媒体と相性がいいと思われる作品で、細かく描きこんでいて、それにプラスして、切れるような鋭さというよりは、どこか柔らかい印象のある絵のせいで、昔と現代がまじりあっているという作風で、もしかしたら、敬遠されるような要素があるにもかかわらず、三越の広告などにも使われるようになったあたりから、さらに仕事が広がっていっているようにも見える。

 

 会場には、細かい絵が並ぶ。まとめてこれだけ見たのは初めてかもしれない。細かく描かれていて、そして、見ると、あ、ここにこんなものが描いてある、などとも思うが、それ以上に、おお、と思うまでにはいかないことが多く、それよりも、人物の大きめの絵のほうが、こちらに何か伝わって来るような感じもあったりするが、突然、(突然ではないのだろうけど)源頼朝の昔の模写があったりと、いろいろなことをやっている感じでも、波風が立ちにくいのは、おそらく本人の性格なのだろうとも思う。

 

 その一方で、<一人国際展>の最新作「山愚痴屋澱エンナーレ2013」を会場内で開催をしていて、そこには、やたらと大きな音がしていて、それが「リヒターシステム」という名前がついた絵が、ボタンを押すと振動して、リヒターの絵のようにぼけたり、ぶれたりする、といった作品などもあった。

 

それは、会田誠のように、思いついたことをそのままやっていこう、というような意志の強さみたいなものも感じ、それは、なんだか感心もしたが、会田誠よりも、多くの人に受け入れられそうな気配みたいなものも勝手ながら感じた。

 妻は、すごい、尊敬する、みたいなことを言っていて、確かに、そうだ、という気持ちにもなれた。

 

(2013年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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