アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「堀内誠一 雑誌と絵本の世界」。1999.8.21~10.3。平塚市美術館。

堀内誠一 雑誌と絵本の世界」。1999.8.21~10.3。平塚市美術館。

 

1999年9月12日。

 実家にずっといて、皿を洗って洗濯をして干して、ただそれだけなのに、妙に疲れて、休み休みじゃないと体が動かないこともある、簡単に言えば気合いが足りない、ということなんだろうけど、それも2週間続けると、神経がすり減るというのが分かる。朝から夜まで怒ってばかり。母から見ればそういうことになるんだろうが、怒りたくて怒っていないし、これでも相手は、病人だから物凄く気持ちを押さえているつもりだけど。

 

 妻が来てくれる、気持ちがなごむ。それでも、母に怒ってしまうのは変わらないから、少し離れた方がいい。退院して以来、母を一人にしたのは、近所のダイエーに行く1時間くらい、それも昼寝をしている時に出かけたくらい、神経質過ぎるとも思われるだろうけど、症状がひどくなった時の、時間の感覚が減るような恐怖はもう味わいたくないから、どうしても家にいてしまう。居たくないのに。嫌でしょうがないのに。

 

 今日は、出掛けることにしよう。この前、トゥナイト2でやっていたアートディレクター・堀内誠一の仕事を平塚美術館で展覧会として開いているのを、見に行こう。そういえば、アートに興味を持ち始めたのも、同じトゥナイト2で、平塚のトウキョウポップからだった。

 

 昼過ぎて、クルマで出発する。行き方は電話で聞いた。つい先月まで何度も行った病院への途中の場所。物凄く距離も近く思えるし、馴染みも感じる。1号線を通り、バイパスを走って、途中で右折し、左に曲がり、右側に駐車場がある。初めての所なのに、ほとんど迷わなかったし、不安感もなかった。ただ幸せだった。妻と二人で1時間かけて、美術館に行くだけで、これまで確実に不幸だったのだけは良く分かる。

 

 アンアン、ポパイ、ブルータス、一時期、マガジンハウスが偉いと思えた時期の雑誌のアートディレクションをほとんど一人でやっていたようなものだったらしい。

 妻は、やはりアンアンに反応していた。あの頃は画期的だった、と言われても、いまひとつ肌に来る実感がない。結構、人は入っていた、日曜のせいもあるかもしれない。いろいろな仕事をしているようだったし、絵本も出しているようだったが、雑誌の仕事が優れているように思えた。例えば、イラストの地図を見ると、これでもか、と書き込んである。説明好きなんだ、おもしろいものがあると、人に見せたい、話したい、そんな気持ちが強くて、だから雑誌向きなのかもしれない。

 

 ただ、新しい雑誌のプレゼンテーションをするのに、目次を手書きのイラストで起こしたり、といった努力の仕方は、こういう人でもここまでやらないと企画が通りにくいんだ、と妙に感心し、少し勇気づけられた。

 

 それに、創刊したばかりのブルータスの編集後記で、自分達がおもしろいと思ったことしか取り上げないと書いてあるのを見て、納得してやはり少し元気づけられた。大学生の頃、ほとんどファッションに興味がないのに、ポパイやブルータスを割と買っていた。後は、ナンバーとスタジオボイス。ポパイやブルータスの細かい記事に結構おもしろいのがあって、それを見つける楽しみもあったかもしれない。そう考えると、今でも面白いと思うことはそれほど変わっていない。

 

 こういう展覧会の企画は、意欲的だし、おもしろいと思う。美術館でいろいろ見られたらおもしろい。帰りは、ダイエーに寄って帰った。家も母も変わらずにあった。先が見えない。また暗くなる。 

 

 

(1999年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

www.amazon.co.jp

 

www.city.hiratsuka.kanagawa.jp