アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

「大宮エリー 生きているということ展」。2013.1.25~2.18。パルコミュージアム。

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大宮エリー 生きているということ展」。2013.1.25~2.18。パルコミュージアム

 

2013年2月17日。

 

 友達が見て来て、ちょっと面白いよ。でも、言葉があるけど、それは、この歳(同じ年代)になると、いろいろな人から言われているような言葉だから、それを若い人の方が言われてないのかなあ、というような感想だったけど、私よりも妻の方がいいんじゃないか、と言うことで、昨日は妻が行って来た。

 

 

 それを聞いて、買って来たポストカードなどを見て、自分も行こうと思ったのは、インスタレーションがあるにしても、言葉を中心にして、文を主な展示物として、渋谷という場所で、パルコというところで成り立たせているところに、すごく興味があって、見に行こうと思っていたが、月曜日は、ボランティアが終ってからだと間に合わないから、どうしよう、と思ったが、今日は親戚が来る前に時間があるから、それまでに行こうと決めて、寝て、起きる時に微妙に体調が悪い気もしたけれど、やっぱり行こうと思って起きた。

 

 渋谷について、歩いて、公園通りをあがって、パルコへ入って、エスカレーターに人がいっぱいいて、これだけの人数が同じ場所に行ったら、大変だと思ったけど、3階に降りたのは1人だった。

 

 入り口に、「生きているということ」というタイトル。これで、宗教でもなければ、マルチ商法でもなく、それで入場料を払ってまで人が来るのはやっぱりすごいと思えた。入り口から、いろいろな言葉。つまりは肯定する言葉。生きている今のことを、否定しない言葉が手を変え、品を変え、並ぶ。宇宙、絶対的存在、というような単語に否定的な思いになったり、きみやあなたは、と断定的な語り方に反発を憶えたりするのは、心理的な発想にかなり慣れて来たせいなのかもしれず、ただ、こうしたやりかたは、本当にカウンセリングに近いが、実際に歩いて、言葉を見つけ、読んでいく、というやりかたは、本を読むだけとは違うものになっていて、植物などを使うというのは、自然のものを使用するという意味でも、ただ言葉を提供するのとは違った意味合いがあって、それはとても工夫されたインスタレーションだと思う。

 

 何しろ、入り口から人が並んでいて、というより入場者がかなりいるから、まるでクルマの渋滞のようにゆっくりとしか進めないような状態で、それだけ人が来ているというのが、なんだかすごいと思えた。

 

 それだけ、人との関わりの深さというものが不足しているような気もしているが、それはおそらく今に始まったことでもない。下にある石の裏に言葉があったり、さらに暗い部屋もある。自分自身の闇みたいなものの肯定。それがないと、確かにおかしな宗教のようになってしまうから、それを注意深く避けるように、とても強い断定はしていないようにも思えてくる。闇の部屋では、渡された懐中電灯が活躍し、そして、その部屋を出て少したつと、回収する箱もある。

 

 そして、最後はドアをあけると、草原のような場所になる。水もあるし、土の上に植物があって、どうやって運んだんだろう、というような気持ちにもなるが、その解放感はやっぱり気持ちがいい。ノートにも真剣な言葉が並んでいた。生きているということは何ですか?という問いにちゃんと答えている。

 

 こういう企画を通して、形としている事に敬意を感じる。ジョンレノンとオノヨーコが、戦争をなくそう、などと訴えている姿を見て、そんなことをしても、などとも思ったが、でも、言わないと、伝えようとしないと、可能性はゼロになるから、意味があると思うようになったのは、年齢を重ねてからだ。

 

 今回も、そんな意味合いのある展覧会になるのだと思う。実は、前回「思いを伝えるということ」というテーマでやはり、こうした「体験型」の展覧会を開き、1万人の入場者を記録したというから、それはすごいことだと思うし、こういう事が必要とされていることは、厳しい世の中なんだ、と思った。

 

(2013年の時の記録です。多少の加筆・修正をしています)。

 

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