アート観客   since 1996

1996年からアートを観客として見てきました。その記録を書いていきたいと思います。

有地慈 個展「スーパープライベートⅢ 約束された街で」。2018.10.27~11.3。ゲンロンラウンジ五反田アトリエ。

f:id:artaudience:20220206111644j:plain

有地慈 個展「スーパープライベートⅢ 約束された街で」。2018.10.27~11.3。ゲンロンラウンジ五反田アトリエ。

2018年10月27日。

 早めに起きて、研修があって、それから知り合いとコーヒーを飲んで、まだ時間があったので、ちょっと頭が痛かったので疲れもあるのだろうけど、迷って、一週間くらいしか期間がない展覧会だったし、新芸術校での講評会かで、本当に個人的すぎる、みたいな指摘をされていた作品で、だからよけいに気になっていたのだけど、そこにプライベートにスーパーをつけたせいで、何だか突破した、というような気持ちになった。そこへ進むんだ、という思いをさせるネーミング、というかテーマになるのかもしれない。

 

 電車の中で迷って、それでも五反田で降りて、家に電話をしたら介護をしている義母の様子も変わりもないし、行っても大丈夫、ということだったので、出かける。何度か来て、少し慣れた道を歩く。

 

 あれ、やっているのかな、というくらいドアがばっちり閉まっていて、空けたら、受け付けがあり、手前のスペースは無料で撮影も自由ですが、奥のスペースは500円で、撮影はご遠慮下さい、といったことを説明され、500円を払ったら、ポストカードを選ばせてくれた。

 

 無料スペースは、おそらく、娘さんのことをテーマに作品を作っていたらしいので、その関係と思われる小さい洋服とか、靴とか、そんなようなもので作った立体だったり、というものがあり、そこにビデオ作品が流されている。魔法少女になってよ、というような声に、顔だけモザイクがかかった小さい女の子、娘さんだと思うけど、「嫌だよ」と言って、波打ち際を笑って走っているビデオ。それから、3・11の大震災のときに、みごもっていて、11・3に子供を生んで、それは、どうしても大震災のことを考えてしまうし、といった事も含めて、作品にした、さらには、自分が90年代に母親と宗教に参加していて、それは、自分が小さい頃に、死んだらどうなるの?と繰り返し聞かれたせいもある、といったようなことがあったというような、いろいろな強い意味が並んでいる。

 

 有料ゾーンにちょっと緊張しながら入ったら、そこはダンボールの平たくなったものが並んでいて、人が何人かいる。子供がいると思ったら、その子がどうやら作者の娘さんで入場券をもいでくれて、お菓子もくれた。

 

 母親でもある作者もいて、正面からまっすぐに視線を合わせて話をしてくれる。いろいろな話をしたのだけど、それは、とても本気の話ではあったし、こうやって有料ゾーンで娘さんのプライバシーを守っている、といった工夫なんだ、とも思ったし、この作品は11月3日の誕生日パーティーを開く、をコンセプトに毎日、ここでダンボールを素材に作品を作り続けて、当日に完成をさせてパーティーを開く、といったことを言っていて、今は、何も出来てないので、という風景だけど、当日は何が出来ているかは楽しみでもあるし、そこで娘さんを主役にパーティーをするのか、といったことを考えると、いろいろなことを思うが、それでも、3・11のことを意識していて、娘さんの誕生日が11・3というのは偶然だけど、意味があるように思えるのが人間なのかもしれない。

 

 そして、私自身は観客として、こういうアートに自分は支えられた、というか、感謝もしている、といったことを伝えると、そんな風に言ってもらえるのはうれしい、自分語りばかりをしているのではないか、といった気持ちにもなってしまうので、といった事も言ってくれ、出来たらパーティーの日も来てください、今日の券を持って来てくれれば、入場できます、といったことを言われ、この場所がどう変わるかも見たかったが、パーティー、ということに腰がひけてしまうのは、年齢のせいもあると思う。

 

それでも、作品の変化も含めて、見てみたいと思った。

 

 

(2018年の時の記録です。多少の修正・加筆をしています)。

 

bijutsutecho.com